(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

コロナワクチンについて思った或るひとつのこと(別に込み入ったことも決定的なことも書いていませんが、気分が悪くなるかもしれません。閲覧ご注意ください)


 コロナワクチンについて、いろんなことが言われていますよね。効く、効かない、害がある、害が出てきた、他の病気にも効いている等々。


 果して、ほんとうのところはどうなんでしょうね。


 統計を挙げてきて、だからこうだ、だからああだと、いつもたったひとつの答えを出してくるひともいます。でも、ひょっとすると、たいていの場合、そうした統計を用いてできる最大限のことは、そこからいくつかの可能性(解釈)を提示するだけで終わることなのかもしれないと思われたりもします(はっきり一義的な結論を導きだすことができる場合は限られているのではないかということです)。


 けど、そうした混沌のなか、たったひとつだけ確実に言えることがあるような気がしませんか。


 それは何か。


 コロナワクチンはどのように登場してきました?


 輝かしい賞賛と共に、でしたね。


夢の新薬あらわる!」という礼賛の声と共に、ね?


 要するに、「効果はバツグン、しかも副作用(以後、副反応とは書かず、副作用と書くことにします)はたいしたことがない」と請け合われて出てきたわけですね。

 

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もう報道機関として信頼することは不可能となったNHKによる記事ですが。

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 だけど、過去から学ぶみなさんは、そう請け合うのはちと早すぎはしないか、と当時、疑問を覚えませんでした?


 市場に出てきたばかりの段階でいきなり、ほんとうにそんなことを、そんなに力強く請け合うことはできるのかなあ、と首をひねりませんでしたか?


 効果についてそう力強く請け合ったこと。また副作用について、たいしたことがないと力強く請け合ったこと。それらふたつのことを、ほんとうに請け合えるようになるのは、もっともっと時間が経ってからのことではないのかなあ、と不思議に思いはしませんでしたか?


 だって、市場に「夢の新薬」というきらびやかな宣伝文句をひっさげて登場したものの、あっという間に、その薬から重篤な副作用をこうむる服用者が続出し、その認可が取り消されたとか。


 あるいは「これは夢の新薬だ! 奇跡の薬だ! 科学の進歩だ! ノーベル賞だ!」なんて言って患者さんに喜んでどんどん処方していたら、ずっと何年もあとになって急に、その薬の服用者が続々と重篤な副作用で亡くなっていると判明した、なんてことは、これまでに度々ありませんでしたか?


 前者の、あっという間に危険性を次々露呈していった例としては、真っ先にイレッサが俺の念頭に浮かんできます。

 

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一部以前に紹介した記事が含まれます。

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 いっぽう後者の、何年もあとになってようやく危険性が判明した例については、先日、精神科医である岡田尊司氏の著書『統合失調症』から、クロザピンという薬についての記述を引用しました。

 

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この記事で。

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 そこにはこう書いてありました。

 大部分の抗精神病薬は、ドーパミンD2受容体を遮断する作用をもつが、クロザピンは、唯一例外的にドーパミンD2遮断作用が非常に弱いにもかかわらず、統合失調症の症状を顕著に改善薬である。


 一九六〇年代に開発されるや、この革命的な薬は、手が震えたり、体が強張ったりといった副作用を生じることなく、統合失調症の症状を劇的に改善させた。幻覚や妄想だけでなく、無気力や自閉といった陰性症状もよくなったのである。投与された患者の多くは、「元にもどった」という表現がふさわしい回復を遂げた。しかも、これまでの薬剤がまったく無効であった難治性のケースでも、顕著な改善効果が認められたのである。「奇跡の薬が現れたと多くの人は歓喜の声を上げた


 ところが、七〇年代になって忌まわしい副作用が報告されはじめた。無顆粒球症と呼ばれる、白血球の中でも細菌を食べる無顆粒球が、極端に減ってしまう副作用により、死亡する人が相次いだのである。「奇跡の薬」は、いつ命を奪うかもしれない恐怖の薬になってしまった。さらに、膵炎や心筋症といった副作用も報告された。


 こうした重篤な副作用のため、クロザピンは日本では長く許可されなかったが、二〇〇九年七月より治療抵抗性のケースに限って使用できるようになった。アメリカでは一旦使用されなくなった後、一九八九年から再導入された。使用に際しては、毎週採血をして、万が一、血液検査で異常がみつかれば、ただちに投与を中止しなければならない。まさに命がけの治療である(同書pp.174-175、ただしゴシック化は引用者による)。






(了)