(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

医学の副作用の侮り方その2、いきなり「夢の新薬」と高らかに謳いあげる(5/5)【医学は副作用を侮ってきた? part.5】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.46


◆One man's meat is another man's poison.という絶対真理

 以上、この副作用についての連作を最後にまとめます。


(精神)医学は、この連作の最初に引用した岩波明精神科医のように、副作用は「問題がない場合が大部分」*1であるとずっと喧伝してきましたよね? でも、ほんとうのところ、副作用は「たいしたことがある」場合もかなりあるのではないかと俺、最初に疑問を投げかけました。副作用はしばしば「たいしたことがある」のに、(精神)医学がそうした場合を勝手に、「たいしたことのない」ものと決めつけ、侮ってきただけなのではないか、って。で、その後、抗精神病薬3種類を例にここまで、その疑念がどうもただの杞憂では終わらないらしいことを確認してきました。

 

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part.1(問題提起)


part.2(みなさんの副作用の見方)


part.3(副作用は本当にたいしたことがないのか検証)


part.4(医学の副作用軽視法その1)

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 いや、もちろん、最初のほうでちらっと言いましたように、そうした薬の副作用をこれといってこうむらないひともかなりいたでしょうし、いまもいるだろうことは疑いがありませんよ。副作用が問題のない場合もたしかに多かったし、いまも多いにちがいありませんね。だけどそのことをもって、薬から副作用をこうむっていると訴えるひとたちは大げさだとか、ウソを言っているとか、わがままだとかと断ずることは絶対にできませんし、副作用が大問題である場合も多々あるということは否定されてはいけませんね?


 だって、そうではありませんか。おなじ物質をおなじように摂取接種してもひとによって、もしくはおなじひとでも時と場合によって身体に起こる出来事はしばしば異なってきませんか。アルコールとか、コーヒーとか、タバコとか、を例に考えてみてくださいよ。


 おなじアルコールをおなじ量、おなじように摂取しても、楽しくなるひともいれば、千鳥足になるひとだっているし、その他、泣くひと、絡み出すひと、ぶっ倒れるひと、普段とまったく変わらないひとなど、いろいろと出てきますよね。


 薬だってそうですよ。おなじ薬をおなじように摂取・接種しても、息がしにくいとかダルいとか鬱々とするとかといった当初の「苦しさ」がマシになるひともいれば(時もあれば)、そうならないひとだっているし(そうならない時だってあるし)、重篤な副作用をこうむるひとだって(時だって)、また全然副作用をこうむらないひとだって(時だって)出てくるのは当然ではありませんか。


 そういうふうに、おなじ薬をおなじように摂取・接種しても、ひとによって、もしくはおなじひとでも時と場合によって、得られる「利益」や、こうむる「不利益」はしばしば違ってくるというのが、むしろ現実ですね?


 ひとの身体には互いに違いがある以上
おなじ薬をおなじように摂取接種しても、そのようにひとによって、身体に起こる出来事がしばしば異なってきても何ら不思議はありませんね? また、おなじひとでも、その時々で身体に違いがある以上、時と場合によって、身体に起こる出来事がしばしば異なってきても、何らおかしなことはありませんね?


 おなじ薬を摂取・接種しても、ひとごとに(もしくは、おなじひとでも時と場合によって)、つぎの5つの場合のいずれかにわかれるというわけですよ。One man’s meat is another man’s poison.であるというわけです。

1.「利益」も得られないし、「不利益」もこうむらない。

2.「利益」は得られるが、「不利益」はこうむらない。

3.「利益」は得られるが、「不利益」もこうむる。

  • (a)「利益」が「不利益」を上回る
  • (b)「不利益」が「利益」を上回る

4.「利益」は得られないが、「不利益」はこうむる。


 薬の副作用が問題のない場合(1,2,3-a)もたしかに多かったし、いまも多いのはきっとそのとおりだと思います。だけど、(精神)医学の見立てに反し、副作用が問題のある場合(3-b,4)実はかなりあったしいまもかなりあるのではないか、ということですよ。


 にもかかわらず、医学は、そうした問題のある場合の副作用を、「たいしたことがない」ものと勝手に決めつけ、侮ってきたのではないかということです。

 

 




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いらぬ詮索は厳に慎むべきに違いありませんが、でも、いまになって、作家の北杜夫さんもかなり副作用をこうむっていらしたのかもしれないと、北さんの愛読者だった俺には思い返されたりしています。北さんは精神科医で、鬱病を罹患(個人的に使いたくない言葉ですが)していらっしゃいました。背中が痛いなど、調子が悪いと訴えておられる文章によくお目にかかったものですが、それらはひょっすると、しばしば、副作用だったのかもしれない、と。


*今回の最初の記事(1/5)はこちら。


*前回の短編(短編NO.45)はこちら。


*このシリーズ(全48短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

*1:岩波明精神疾患角川ソフィア文庫、p.224。下の部分で引用しました。