*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.46
◆で、実際、そんなうまい話はあったのか
さっきの引用のつづきを見てみます。
ところが、七〇年代になって忌まわしい副作用が報告されはじめた。無顆粒球症と呼ばれる、白血球の中でも細菌を食べる無顆粒球が、極端に減ってしまう副作用により、死亡する人が相次いだのである。「奇跡の薬」は、いつ命を奪うかもしれない恐怖の薬になってしまった。さらに、膵炎や心筋症といった副作用も報告された。
こうした重篤な副作用のため、クロザピンは日本では長く許可されなかったが、二〇〇九年七月より治療抵抗性のケースに限って使用できるようになった。アメリカでは一旦使用されなくなった後、一九八九年から再導入された。使用に際しては、毎週採血をして、万が一、血液検査で異常がみつかれば、ただちに投与を中止しなければならない。まさに命がけの治療である(岡田尊司『統合失調症』PHP新書、2010年、p.175、ただしゴシック化は引用者による)。
結局、副作用を侮ることのないみなさんなら抱いていたであろう一抹の不安が現実のものとなってしまったということですね。
言ってみれば、しばらく使っているうちに、その薬が一種の麻薬(摂取直後しばらくは良くても、あとあととんでもなく酷いことになる)みたいなものだったと判明した、ということですね。
「そんなうまい話はなかった」わけです。
だけど、先にも言いましたように、これに類似したことは、それまで多々の薬剤(や手術等の施術)に起こってきたのではなかったでしょうか。「奇跡の薬」とか「夢の新薬」とかという評判を携えて市場にやって来たものの、しばらく時間が経つと、重篤な副作用の報告が相継いできたといったような例はそれまでに、しばしばあったのではないでしょうか。
もしそうなら、それらを(精神)医学は見聞きしていたはずですね。
なのに、なぜ、出てきたばかりの段階でいきなりこのクロザピンという薬剤に「奇跡の薬」とか「夢の新薬」とかという称号を与えてしまうという軽率なことができたのか。
なぜそんなに早い段階で、「奇跡の薬」「夢の新薬」といった判定を下せると(精神)医学は思い誤ったのか?
やはり、副作用を侮っていればこそではありませんか。
どうせたいした副作用なんか出て来るはずはないと高をくくり、侮っていたということなのでありませんか。
ひょっとすると医学はそうして副作用のことを侮り、今に至るまで副作用についてほとんど真面目に考えてはこなかったのかもしれませんね。その結果、もしかすると、副作用のことをどういうふうに考えればいいか、未だにわかっていないのかもしれませんね。
過言でしょうか。
でも、医学はこのクロザピンの場合からすらも、何も学ばなかったかもしれませんよ*1。そして、市場に出てきたばかりの頃に薬をいきなり、「奇跡の薬」「夢の新薬」と謳い上げ、宣伝するようなことは不誠実であるという認識を未だにもてていないかもしれませんよ(ここ数年のことを考えると、さすがにそう思ってしまいますよね?)。
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