*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.36
◆嫌がらせと決めつける(案1)
ちょうどいま、浪人1年目の大学受験も失敗に終わったと書いてあるのを見ました。その後Nさんは「二浪目に入り、これまでとは別の予備校に入学した」ということでしたね。「だが、他の学生にいやがらせをされたと言って、すぐに登校しなくなった」とのことでしたね。
今回はこの部分だけをとり挙げますよ。残りは次回以降に回します。
「他の学生にいやがらせをされた」というそのひと言からだけでは、何があったのか、詳しいことはもちろんわかりませんけど、ひょっとすると、そのときNさんの身に、中学生の頃、同級生たちに嫌がらせをされていると感じられたのとおなじことが起こっていたのかもしれないと考えることはできますね。引用第1部に、中学生の頃のことについて、こういう記述があったの、みなさん覚えていますか。
本人の話では、この当時他の生徒から、ワイシャツに落書きされたり、ソースをつけられたり、あるいは机の上に置いたプリントをわざと落とされたりするというようないじめに繰り返しあったという。しかし、「いじめ」に関して事実関係は確認できず、現実の出来事ではなく、本人の被害妄想が始まっていた可能性が大きいと思われる(岩波明『精神疾患』角川ソフィア文庫、2018年、p.124、2010年)。
ほんとうは誰も嫌がらせなどしていないのに、Nさんが誤って、嫌がらせをされていると信じ込んだんじゃないかということでしたね。
つまり、自分がひとを疑りすぎている(だけである)ことにNさんは気づいていなかったのではないか、ということでしたね。
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そのときの考察はこちら。
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それとおなじことが、新たに通いはじめた予備校でも起こったのかもしれないということですよ。
食堂のテーブルに置いておいた自分のカバンが、食事をとりに行っているあいだに、別の席に移動させられていたとか、トイレから帰ってくると、教室の自分の席のうえに、消しゴムのカスが寄せられていたとか、あるいは自分だけ授業中にプリントが回ってこなかったとかいうようなことが、この予備校で起こったのかもしれませんね。
で、Nさんは、それを他の生徒たちからの嫌がらせではないかと疑った。
でも、たまたまそういうことが起こっただけという可能性も、もちろんあった。要するに、Nさんが他の生徒たちを疑りすぎているだけという可能性は十分にあった。Nさんは、他の生徒たちに嫌がらせをされていると疑う自分を、疑ってみてもよかった。
だけど、Nさんはそうしなかった。
Nさんにしてみれば、自分がそこで思い違いをしたりするはずはなかったのかもしれませんね。
いや、いっそ、Nさんのその見立てを、少々語弊があるかもしれませんけど、ここでも、こう言い換えてみることにしましょうか。そのときNさんには、自分が思い違いをしているはずはないという自信があったんだ、って。
2021年8月15日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/9)はこちら。
*Nさんのこの事例は全6回でお送りします(今回はpart.4)。
- part.1(短編NO.33)
- part.2(短編NO.34)
- part.3(短編NO.35)
- part.5(短編NO.37)
- part.6(短編NO.38)
*このシリーズ(全48短編を予定)の記事一覧はこちら。