*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.35
◆慶応の最難関学部に合格することが決まっている
で、そうこうしているうち、受験の時期がやってきて、Nさんは、受験した大学にすべて落ちたということでしたね。そして、4月から予備校に通いはじめたが、「いじめられた嫌なことを思い出したり、受験に失敗したことを後悔したり」して、授業にすら集中できなかったということでした。ほとんど勉強はせず、「自転車で図書館に行ってCDを借り、自宅でテープに録音することを繰り返していた。母親が勉強するようにと咎めても、それをやめようとはしなかった」ということでしたね。
でも、Nさんは、志望校である慶応大学の最難関学部に合格することが決まっていると言い出したりするということでした。合格圏には全然達していないのに、って。
そこにNさんの自信の強さが見てとれますね。
Nさんの、慶応大学の最難関学部に合格することができるはずだという「自信」は、勉強をまったくしてきていないとか、成績が合格圏からはほど遠いとかといった頑とした「現実」にたいしても、びくともしないほど強かったということですよね。
けど、そうした自信の強さをここまで、ずっと見てきてません? ここまでNさんが「現実修正解釈」をしていると思われる場面を3つとりあげてきました。
今回は、そのうちのふたつを見ました。ひとつは、いじめが深刻になってきて勉強が手につかないと訴えている場面、もうひとつは、ひととすれ違う際、悪口が聞こえてくると訴えている場面でした。
また前回に見たもうひとつの場面では、自室にいるとき、女性の顔のようなものが目のまえに浮かんでくるとNさんは訴えていました。
それら3場面でNさんは、ちょうどいま言いましたように、「現実修正解釈」をしていたのではないかということでしたよね。その「現実修正解釈」というのは、「現実」と「自信」とが背反するに至ったとき、その背反を解消するために、前者の「現実」のほうを、後者の「自信」に合うよう修正する操作のことでしたね?
それら3場面でのNさんの「自信」は、「現実」にたいしてもびくともしないどころか、逆にそれらを曲げるほど、強いものだったということですね?
2021年8月14日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/8)はこちら。
*Nさんのこの事例は全6回でお送りします(今回はpart.3)。
- part.1(短編NO.33)
- part.2(短編NO.34)
- part.4(短編NO.36)
- part.5(短編NO.37)
- part.6(短編NO.38)
*このシリーズ(全48短編を予定)の記事一覧はこちら。