*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.32
でも、「ゴキちゃんが出た!」と叫びながら、とっさに飛びあがって驚いている最中、みなさんは同時にこんなふうにも頭を働かせはしませんか。
いま、視野の隅を黒いものが横切ったように見えた。たしかにあれはゴキブリだと思われた。でも、ちょ待てよ、ひょっとすると、ボクが錯覚しただけかもしれないぞ、って。
そうしてみなさんは、悲鳴をあげ、一見冷静さを失っているように見えながらも実は頭のなかで、「ほんとうにゴキブリが出た」という可能性とは別に、「ゴキブリが見えたと錯覚しただけである」可能性にも、素早く思いを致してみるのではありませんか?
だけど●●さんは、そうしたことをしなかったのかもしれませんね。牛の怪物が見えた気がしたとき、「錯覚しているだけである」可能性に思いを致してみることはなかったのかもしれませんね。
つまり、●●さんからすると、自分がそこで錯覚したりするはずはなかったのかもしれませんね。
いや、いっそ、●●さんのその見立ても、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そのとき●●さんには、自分が錯覚をしているはずはないという自信があったんだ、って。
さて、ここまで、●●さんについてつぎの2点を確認しました。
- ①牛の怪物が見えたと思った。
- ②自分が錯覚しているはずはないという自信があった。
なら、そのあと、●●さんはどうなります?
当然、●●さんは、牛の怪物がたしかに現れたんだと信じ込むことになりませんか?
いまの推測も箇条書きにしてみます。
- ①牛の怪物が見えたと思った(ひとつの可能性を思いつく)。
- ②自分が錯覚しているはずはないという自信があった(他の可能性を不当に排除する)。
- ③牛の怪物が出たのは間違いがないと信じ込む(勝手にひとつに決めつける)。
このように、可能性がいくつか想定できるところで、いっぽう的に、他のすべての可能性を不当に排除し、たったひとつの可能性に事をしぼりこんでしまうありようを、俺は冒頭で、「勝手にひとつに決めつける」型と名づけたというわけですよ。
2021年11月15,16日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/6)はこちら。
*前回の記事(短編No.31)はこちら。
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