(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

〝統合失調症〟に見られた2つのパターン(5/6)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.32


 でも、「ゴキちゃんが出た!」と叫びながら、とっさに飛びあがって驚いている最中、みなさんは同時にこんなふうにも頭を働かせはしませんか。


 いま、視野の隅を黒いものが横切ったように見えた。たしかにあれはゴキブリだと思われた。でも、ちょ待てよ、ひょっとすると、ボクが錯覚しただけかもしれないぞ、って。


 そうしてみなさんは、悲鳴をあげ、一見冷静さを失っているように見えながらも実は頭のなかで、「ほんとうにゴキブリが出た」という可能性とは別に、「ゴキブリが見えたと錯覚しただけである可能性にも、素早く思いを致してみるのではありませんか?


 だけど●●さんは、そうしたことをしなかったのかもしれませんね。牛の怪物が見えた気がしたとき、「錯覚しているだけである」可能性に思いを致してみることはなかったのかもしれませんね。


 つまり、●●さんからすると、自分がそこで錯覚したりするはずはなかったのかもしれませんね。


 いや、いっそ、●●さんのその見立ても、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そのとき●●さんには、自分が錯覚をしているはずはないという自信があったんだ、って。


 さて、ここまで、●●さんについてつぎの2点を確認しました。

  • ①牛の怪物が見えたと思った。
  • ②自分が錯覚しているはずはないという自信があった。


 なら、そのあと、●●さんはどうなります?


 当然、●●さんは、牛の怪物がたしかに現れたんだと信じ込むことになりませんか?


 いまの推測も箇条書きにしてみます。

  • ①牛の怪物が見えたと思った(ひとつの可能性を思いつく)。
  • ②自分が錯覚しているはずはないという自信があった(他の可能性を不当に排除する)。
  • ③牛の怪物が出たのは間違いがないと信じ込む(勝手にひとつに決めつける)。


 このように、可能性がいくつか想定できるところで、いっぽう的に、他のすべての可能性を不当に排除し、たったひとつの可能性に事をしぼりこんでしまうありようを、俺は冒頭で、「勝手にひとつに決めつける」型と名づけたというわけですよ。





4/6に戻る←) (5/6) (→6/6に進む

 

 




2021年11月15,16日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/6)はこちら。


*前回の記事(短編No.31)はこちら。


*このシリーズ(全49回を予定)の記事一覧はこちら。