*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.27
◆誰かがあわててドア向こうの階段を駆け降りていく
さらに先に進みますよ。このあと、小林さんはお風呂に入り、テレビを見ます。そのときのことを小林さんはこう書いています。
「翌日は六時起きなので早めにベッドに入った。もう不安感は全くなく、ぐっすり眠れると思っていた。ところがこのベッドの中で、昼間に勝るとも劣らない異常な体験をする破目になるのである」(小林和彦『ボクには世界がこう見えていた』新潮文庫、2011年、p.125)。
そのように小林さんには、「ぐっすり眠れる」はずだという「自信」があった。でも、早稲田大学で日中に起こったことを先に詳しく見ましたよね。小林さんは、時の内閣に監視され、果ては殺されるかもしれないと逃げ惑っていましたね。そして帰宅後も、小林さんはまだかなり動転しているように、いま見受けられていませんか。その夜、小林さんが「ぐっすり眠れる」とはなかなか考えにくいことではありません?
実際、小林さんはこのあと、「ぐっすり眠れ」はしないわけです(現実)。ここでも小林さんの「自信」と「現実」はそうして背反します。
その顛末を見ていきましょう。
さすがに今日一日の体験で疲れたか、最近になく早く眠りについた。どんな夢を見たかも夢を見たかどうも覚えていない。
突然午前三時頃、目が覚めた。これ以降、朝になって妹が起こしに来るまで、僕は全く眠っておらず、その間にあったことは断じて夢ではなく、現実に起こったことだ。人は「夢でも見ていたんだろう」と言うが、それだけは否定する。
目が覚めたとたん、誰かがあわててドアの向こうの階段を駆け降りていく音がした。僕はこの家の中に妹以外の人間がいて、彼は眠っている間の僕の脳波を、どういう方法でかは知らないが調べていたのだろうと思った。そして、僕が目覚めてしまったため、正体がばれることを恐れ、あわてて撤収したのだろう。起きてドアを開けて一階に行けば確かめられるが、なぜかそれをしてはいけないという自制心が働き、僕はベッドから出なかった。別に金縛り状態ではなかったと思う(同書p.126、ただしゴシック化は引用者による)。
午前3時頃に目が覚めたとき、「誰かがあわててドアの向こうの階段を駆け降りていく音がした」とのことでしたね。それを聞いた小林さんは、「この家の中に妹以外の人間がいて、彼は眠っている間の僕の脳波を、どういう方法でかは知らないが調べていたのだろうと思った。そして、僕が目覚めてしまったため、正体がばれることを恐れ、あわてて撤収したのだろう」と推測したとのことでしたね。
ここでも、さっきのふたつの場面とおなじことが起こっている気が、みなさん、しませんか。
殺し屋に追われているひとが、ちょっとした物音にもビクッと反応し、「殺し屋が来た!」と身構えるように、政府に日中つけ回されたと思い込んでビクビクしていた小林さんは、深夜、誰かがドア向こうの階段を駆け降りていく足音を聞いてギョッとし、とっさに、つけ回してきている奴らではないかと閃いたのかもしれませんね。
で、瞬時に、「彼は眠っている間の僕の脳波を、どういう方法でかは知らないが調べていた」のでは、と思いついたのかもしれませんね。
そりゃあ、日中、政府に追われていたと思い込んでいたら、ふとそんな発想が湧いてきても何ら不思議はありませんよね?
2021年10月5,7日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/6)はこちら。
*前回の短編(短編NO.26)はこちら。
*このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。