*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.22
◆同時に自分の解釈を疑っている
さて、いま、こう言いました。気持ちが高揚していた小林さんは早合点して、現実(記事内容)をつい自分に都合良く解釈してしまったのではないか、って。
そんなふうに、みなさんもふだん、現実を自分に都合良く解釈してしまうこと、よくありません? 女の子と頻繁に目が合うことから、「きっとあの子、ボクのこと好きなんだ」と、現実を自分に都合良く解釈してしまう小学生男子。
朝、「子供の体調がおかしい」と訴える奥さんを尻目に、「たいしたことないのにイチイチうるさいなあ」と、現実(子供の様子)を自分に都合良く解釈して接待ゴルフにでかける夫。
目新しい政治家を自分に都合良く、世紀の救世主と早々に信じ込んでしまう有権者。
そうしたひとたちのように、小林さんもつい現実を自分に都合良く解釈してしまったにすぎませんね?
けど、みなさん、そのように現実を自分に都合良く解釈しているとき、同時に、その解釈を疑っていること、しばしばありませんか?
たとえば、女の子と頻繁に目が合うことから、「きっとあの子、ボクのこと好きなんだ」と早合点した小学生男子も、その解釈を疑っていること、ありますよね? 「いや、ちょっと待てよ、たまたま目が合っただけかもしれないぞ。目が悪いだけということも十分考えられる」って。
もしくは「子供の体調がおかしい」と訴える奥さんを尻目に、「たいしたことないのにイチイチうるさいなあ」と呟きながら家を出た夫も、ゴルフ場に向かう車のなかで、急に心配にかられること、ありますよね? 「いや、病院にすぐ連れて行かないといけないのかもしれない。上司に連絡して引き返すか?」
あるいは、目新しい政治家を世紀の救世主とばかりに早々にもちあげている有権者も、実は胸のなかで、しばしば疑っているのかもしれませんね? 「いや、彼のナイフのように尖った言葉が公務員や専門家をブスリブスリとやっつける気持ち良さに酔いしれるあまり、よく知りもせず、彼を買いかぶっているだけかもしれないぞ」って。
そのようにみなさん、現実を自分に都合良く解釈しているとき、同時に、その都合の良い解釈を疑っていること、しばしばありませんか。
だけど7月24日(木)の朝、Gさんが会社にもってきた新聞を読んだときの小林さんはそうではなかった。小林さんからすると、その場面で自分が、新聞記事を間違ったふうに解釈したりするはずはなかった。
いや、いっそ、小林さんのその見立てを、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そのとき小林さんには自信があったんだ、って。自分が新聞記事を間違ったふうに解釈しているはずはないという自信が、って。
で、そんな自信があった小林さんには、「国が自分を守ろうとしてくれている」とする、自分のその間違った解釈を正しいものと全力で信じることができた。
つまり、ほんとうに国が、自分のことを「国家機密」に指定し、守ろうとしてくれていると完全に信じ切ることができた、ということなのではないでしょうか。
2021年9月23,24日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/4)はこちら。
*前回の短編(短編NO.21)はこちら。
*このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。