*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.22
◆現実を自分に都合良く解釈する
先の引用文の最終段落で小林さん(アニメーション制作会社勤務)はこう言っていましたよね。当時、「アニメーションを手段にして体制を変えようとしていた」って。「しかし、僕の作ろうとしているアニメーションは、体制を変えてからでないと作れない、というジレンマに陥ってもいた」んだ、って。
つまり、体制変革のためのアニメーションを放送しようとしても、妨害されるにちがいないと小林さんには思われていたということですね? 体制変革が実現されたあとなら、そうしたアニメーションを放送することもできるだろうが、しかしそれでは意味がないと小林さんには思われていた、ということですね?
そのことを本人の言葉で確かめておきますよ。先の引用文のすこしあとで小林さんはこう書いています。
僕には現体制の下では、テレビ局側が〔引用者補足:体制変革をねらったアニメーションを放映しようとすると〕「こういう問題には触れないでくれ」と言ってくるのは目に見えていたので、何とかこの企画に権力者を引き込みたかった。
早稲田の教授を監修として迎える手も考えていたが、それだけではまだ甘い。何とか現職の権力者(自民党の実力者またはフィクサー)をこの企画に引きずり込みたい。
だが待てよ。それは企画を実現させるための手段だが、僕がこのアニメーションを世に送る最大の目的は現体制の変革だ。自民党を仲間に引き入れた(彼らに理解してもらう)時点で、この目的は半ば達成されたも同然ではないか(小林和彦『ボクには世界がこう見えていた』新潮文庫、p.89、ただしゴシック化は引用者による)。
いまの引用文から、当時小林さんが感じていたジレンマの意味が、さっき言ったとおりだと確認できましたね? 体制変革のためのアニメーションを放送しようとしても、間違いなく、テレビ局側に妨害される。でも、体制を変革したあと、そうしたアニメーションを放送しても意味がない。そういったジレンマを小林さんは、7月24日(木)、Gさんが会社にもってきた新聞を読むまで、ずっと感じていたということですね?
さらに、そう感じていた小林さんがつねづね、権力者の庇護を求めていたということも、いまの引用文から明らかになったのではないでしょうか。ほら、自分を妨害者たちの手から守ってもらうために早稲田大学の教授を迎え入れることも考えていたと書いてありましたよね?
そんななか、7月24日(木)がやってきて、小林さんは朝、Gさんが会社にもってきた新聞を読んだ。そこには、「国民の支持を強調して本格続投に意欲を見せる」中曽根首相の発言が載っていて、小林さんは「その内容に激しく鼓舞された」。
そして、そのように気分が高揚してきているところで、時の内閣が「懸案となっている『国家機密法』の国会再提出に熱意を持っている」と書いてある記事に突き当たった。
で、つねづね権力者の庇護を求めていた小林さんは早合点し、その記事を自分に都合良くこう解釈した。
あ、国がボクを国家機密に指定して、妨害者たちの手から守ろうとしてくれているんだ、って。
つまり、つねづね「権力者の庇護を求めていた」小林さんは早合点して、自分に都合良く、「とうとう権力者がボクを守ろうと動き出した」と解釈したのではないか、ということですよ。
このとき小林さんは大学を卒業して、まだ2年ほどです。しかも大学で専門に勉強したのは、法律や政治ではなかった(そのことはあとでわかります)。当時はまだパソコンが普及しておらず、いまのような、検索すれば、とおり一遍のことは何でもわかるという時代でもなかった。そうしたことを考慮に入れると、まだ知識習得中だった若い小林さんが政治的なことについてつい早合点してしまったのも不思議ではないという気が、みなさん、してきませんか?
2021年9月23,24日に文章を一部修正しました。
*前回の短編(短編NO.21)はこちら。
*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。