*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.21
◆野坂、衆院選で新潟3区から出馬する(出来事2)
さて、今度は、もういっぽうの出来事を見ていきます。野坂昭如が衆院選で新潟3区から田中角栄の対立候補として出馬したということでしたよね。
小林さんはその件についてこう書いていました。野坂は「本当は田中角栄が好きで、角栄とその陣営を鼓舞するために、自分を捨て駒にしたのではないか」って。
野坂が田中角栄の対立候補として出馬した。だけど、野坂と田中角栄、その両方のファンである小林さんからすると、その場面で、野坂が、田中角栄に不利益を与えようとするはずはなかったのではないでしょうか。いや、いっそ、小林さんのその見立ても、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてしまいましょうか。そのとき小林さんには、自信があったんだ、って。野坂が田中角栄に不利益を与えようとしているはずはない、という自信が、って。
で、小林さんは、その自信に合うよう、現実をこう解した。
野坂はほんとうは田中角栄が好きで、自分自身を捨て駒にしてまで、角栄とその陣営を鼓舞しようとしているのではないか、って。
いまこう推測しました。
野坂が田中角栄の対立候補として新潟3区から出馬した(現実)。しかし小林さんには、野坂が田中角栄に不利益を与えようとしているはずはないという「自信」があった。そのように「現実」と「自信」とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手はやはり、先ほど挙げたつぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。
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A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
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B.その背反を解消するために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう修正する。
では、もしそこで、小林さんが前者Aの「自信のほうを訂正する」手をとっていたら、事はどうなっていたか、ここでも想像してみましょうか。もしとっていたら、小林さんは「自信」をこんなふうに改めることになっていたかもしれないと、みなさん思いません?
野坂は、田中角栄を落とそうとしているんだな。そうか、ひょっとすると、田中角栄のことが好きではないのかもしれないな。もしそうなら、残念だな、って。
でも、小林さんが実際にとったのはそこでも後者Bの「現実のほうを修正する」手だった。野坂が田中角栄に不利益を与えようとしているはずはないとするその自信に合うよう、小林さんは現実をこう解した。
野坂はほんとうは田中角栄が好きで、自分自身を捨て駒にしてまで、角栄とその陣営を鼓舞しようとしているのではないか。
いまの推測も箇条書きにしてまとめてみます。
- ①野坂が田中角栄の対立候補として新潟3区から出馬する(現実)。
- ②野坂が田中角栄に不利益を与えようとしているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
- ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「野坂は、角栄とその陣営を鼓舞しようとしているのではないか」(現実修正解釈/現実を自分に都合良く解釈する)
小林さんは、このふたつ目の出来事でも、「現実修正解釈」をしていたのではないか、すなわち、「現実を自分に都合良く解釈」していたのではないか、というわけですよ。現に小林さんはさっきの引用文のなかで暗にこう認めていましたよね。「これが一番都合がいい解釈だった」って。
ところが、このふたつ目の出来事でも、小林さんには「現実を自分に都合良く解釈している」という自覚はなかった(箇条書き②の自信が、現実に背反していることに気づかなかった)。で、そんな小林さんにはむしろ「真実が不意に見えてきた」のだと思われた。つまり、「メッセージを受けとった」ように感じられた、ということなのではないでしょうか。
2021年9月18,19,22日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/5)はこちら。
*前回の短編(短編NO.20)はこちら。
*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。