(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

統合失調症の「殺し屋に狙われているという幻覚(幽霊論)」を理解する(3/6)【統合失調症理解#12-part.2,13】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.20


◆錯覚しているはずはないという自信

 だけど、ハウス加賀谷さんからすると、自分がその場面で、錯覚したりするはずはなかったのかもしれませんね。いや、いっそ、ハウス加賀谷さんのその見立てを、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そのときハウス加賀谷さんには自信があったんだ、って。自分が錯覚しているはずはないという自信が、って。


 部屋にひとりでいるとき、もしくは夜浴室で頭を洗っているときに、いまにも幽霊が出て来るのではないかと心配になったと、ひとつ仮定してみてくださいよ。すると不意に何者かの気配が背後にありありとし出し、振り返ってみると、何者かのさっと動く影が見えた気がして、とっさに襲いかかられそうと感じた、と。でも、それは錯覚にすぎませんね? 何か別のものをそう見誤ったとか、勝手にそんな影を自分で思い描いてしまったとかしただけですね?


 なのに、そのとき、錯覚しているはずはないという自信があると、どうなります? ほんとうに何者かがあらわれそれに襲われそうになった、ということになりませんか。


幽霊が出た!」ということになりませんか。


 それとおなじように、ハウス加賀谷さんにもそのとき、錯覚しているはずはないという自信があったのではないでしょうか。で、そんな自信があったハウス加賀谷さんには、ほんとうに、黒い服と黒いゴーグルの男が、向かいのビル屋上から、ライフルを構え、ハウス加賀谷さんの命を狙っているのだと確信された、ということなのではないでしょうか。


 先ほどの引用文のなかに、殺し屋が窓の外に最初に見えたとき、ハウス加賀谷さんは、身の危険を感じて、とっさに床に突っ伏した、と書いてありましたね。でも、そのいっぽうで、これは何かの間違いではないかといった思いも、ハウス加賀谷さんにはあったんだ、って。


「こんなの嘘だ。黒い服を着た男なんか、殺し屋なんかいるはずがない」、って。


 それはひょっとすると、自分が錯覚しているだけである可能性に思いをはせていたということだったのかもしれませんね。ほんとうに殺し屋が窓の外にいるという可能性と、ただ自分が錯覚しているだけという可能性、その相反するふたつのあいだを、ハウス加賀谷さんは、心のうちで揺れ動いていた、ということなのかもしれませんね。そうではないのかもしれませんけど。


 ともあれ、そこでハウス加賀谷さんは立ち上がり、もう一度窓の外を覗いて確かめてみた。が、そのときハウス加賀谷さんが目にすることになったのは、黒い服の男が「ライフルの銃口を向け、獲物に隙ができるのを待ってい」る姿だった。


 依然ビクビクと怯えていたハウス加賀谷さんには、黒い服と黒いゴーグルの男がまたそこに見えた気がしたのかもしれませんね。と同時に、自分が錯覚しているはずはないという自信が固まり、黒い服と黒いゴーグルの男は間違いなく居ると確信されるに至った、ということなのかもしれませんね。


 以後、「スナイパーは幾度となく現れた」とのことでした。「向かいのビルの屋上から、窓下の駐車場に停車している軽トラックの荷台から、電柱の陰から、昼も夜も加賀谷を狙っ」てきたとのことでした。


 夜中ゴキブリの存在に怯えて部屋のなかをビクビクと見回しているみなさんがどこに目をやってもゴキブリの通り過ぎた影が見えた気になるのとおなじように、震えあがっていたハウス加賀谷さんには、窓の下にとめてある軽トラックのほうに目をやっても、電柱の陰に視線を向けても、そこにその男が見える気がしたのかもしれませんね。


 もちろんそれらも錯覚にすぎなかった。しかし、錯覚しているはずはないという自信が固まっていたハウス加賀谷さんには、ほんとうに、黒い服と黒いゴーグルの男が、いたるところから昼夜狙ってきているのだと信じられた、ということなのかもしれませんね。





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2021年9月15,16,17,18日および2023年11月3日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/6)はこちら。


*前回の短編(短編NO.19)はこちら。


*このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。