(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

統合失調症の「カガヤ臭いという声が聞こえてくる(幻聴)」「殺し屋に狙われているという幻覚(幽霊論)」を理解するpart.2(統合失調症理解#12,13)(2/6)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.20 


◆錯覚する

 黒い服と黒いゴーグルをつけた男に、ライフルで命を狙われている幻覚を見たとのことでしたね。


 何かきっかけがあって、ハウス加賀谷さんは、いまにも殺し屋に殺されると怯えるようになっていた。いや、ひょっとすると、抗精神病薬の副作用で、だったのかもしれませんけど。ともあれ、そんななか、「晴れた日、夕刻前」、ビクビクしながら自宅マンションの窓を開け、外の景色に目をやったとき、向かいのビル屋上に見えた気がしたのかもしれませんね。黒い服に黒いゴーグルをつけたいかにも殺し屋といった姿の男が。


 ほら、それに似たようなこと、ふだん、みなさんにもありません? 部屋にひとりでいるとき、背後に誰かいるのではないかとふと心配になると、たちまちそこに、ほんとうにひとがいる気配がありありとし出したりしませんか。


 もしくは浴室で夜目をつむって頭を洗っているとき、近くに誰かいるのではないかと心配になるとたちまちそこに、ひとの気配がありありとしてくること、ありませんか。


 あるいは、「部屋にゴキブリが出た」という知人の話を夜中にふと思い出し、心配になって周りを見回すと、不意に視野の隅をゴキブリが横切ったように見えた、といったようなこと、ありませんか。


 それとおなじことが、ハウス加賀谷さんの身にも起こったのではないか、というわけですよ。いまにも殺し屋に殺されるとビクビクしながらハウス加賀谷さんは窓を開け、外に目をやった。すると、向かいのビル屋上に、いかにも殺し屋といった全身黒ずくめの男が見えた気がした。で、その男に、「屋上のフェンスから身を乗り出し、ライフルを構え」、こちらの額に照準を合わせて一発ぶっ放してきそうな勢いを感じた、ということなのかもしれませんね。


 でも、ほんとうにひとが見えた気がしたのだしても、またたしかに撃たれそうと感じたのだとしても、やっぱり、それは錯覚にすぎませんね? 自分が感じているところがつねに正しいとは限りませんよね? 感じているところが錯覚にすぎないことなんて日常よくありますね?


 たしかに相手がこちらに好意を寄せてきていると「感じられた」のに、錯覚にすぎなかったとか。


 たしかに相手に嫌みを言われたと「感じた」けれど、実は錯覚だったとか。


 先生が下ネタを言ったと「思って」、声を立てて笑ったら、シーンと静まりかえった教室内に自分の笑い声がむなしく響いたとか。


(参考:その錯覚3例については下の記事で考察しました。)


 それとおなじで、いま考察しているハウス加賀谷さんの場合も錯覚にすぎませんね? 何かの影を男と見誤ったとか、自分で勝手にそんな男の姿をそこに思い描いてしまったとかしただけですね?


ひとつまえの記事(1/6)はこちら。


前回の短編(短編NO.19)はこちら。


このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。