(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

統合失調症の「カガヤ臭いという声が聞こえてくる(幻聴)」「殺し屋に狙われているという幻覚(幽霊論)」を理解するpart.1(統合失調症理解#12)(5/7)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.19


 さっきの引用文の中身、ようく思い出してみてくださいよ。


 中学2年生の夏、授業中に先生が、加賀谷少年のうしろに座っている女子生徒を注意したのが事のはじまりでしたよね。即座に加賀谷少年はうしろをふり返った。すると、その女子生徒が下じきで仏頂面を扇いでいるのが目に入った、ということでしたね。で、その瞬間、少年はこう思い込んだとのことでしたよね。


「僕が臭いから、○○子さんは下敷きで扇ぎ、においを飛ばしているんだ。僕のにおいで嫌な思いをしているんだ」って。


 そんなふうに自分のことを思い込むと、当然、他の生徒たちにもおなじように臭い匂いで嫌な思いをさせているのではないかと心配することになりますね?


 このとき加賀谷少年は現にそうなったのではないか、ということでしたね。


 だけど、自分がそこでそんな心配をするなんて、加賀谷少年にはまったく思いも寄らないことだったのではないかと、先ほどそれにつづけて言いました。


 どういうことか。


 このとき、「予想に反したこと」(そうした心配をすること)が現実に起こっていることに、少年は思い及んでいなかったのではないか、ということですよ。


 では、「予想に反したこと」が現実に起こっていることに、思い及んでいなかったというそのことを裏返しにして、こう言い直してみることにしましょうか、少々語弊があるかも知れませんけど。


予想に反したことは現実に起こっていない現実は予想どおりになっている)と、少年は信じ切っていたんだ、って。すなわち、「現実は予想どおりになっているはずだ」という自信がそのとき少年にはあったんだ、って。


 いま、「現実は予想どおりになっているはずだ」という自信が加賀谷少年にはあったのではないかと推測するところまで、たどり着きました。


 でも、そのとき、実際には、現実は予想どおりにはなっていなかったわけですね?


 このように、現実は予想どおりにはなっていないのに、「現実は予想どおりになっているはずだ」とする自信をもってしまっている場合(「現実」と「自信」とが背反している場合)、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように、俺には思われます。

  • A.現実が予想どおりにはなっていないことを認める(先の自信は捨てる)。
  • B.現実を、予想どおりになっていることにするために修正する。


 では、もしそこで加賀谷少年が前者Aの「現実が予想どおりにはなっていないことを認める」手をとっていたら、どうなっていたか、ひとつ想像してみましょうか。


 もしとっていたら、少年は、自分が心配していることを素直に認めることになっていたのではないかと、みなさん思いません?


 でも、この場面で実際に加賀谷少年がとったのは、後者Bの「現実を予想どおりになっていることにするために修正する」手だった。少年は現実を、予想どおりになっていることにするためにこう修正した。


 現実は予想どおりになっている。ボクは何の心配もしていない。そんなボクの耳にいま、クラスメイトの「カガヤ臭い」となじる声が、急に次々と聞こえてきているんだ、って。


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2020年9月30日に、主旨は依然のままに保ちながら、表現を大幅に変更しました。


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前回の短編(短編NO.18)はこちら。


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