*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.19
さっきの引用文の中身、ようく思い出してみてくださいよ。
中学2年生の夏、授業中に先生が、加賀谷少年のうしろに座っている女子生徒を注意したのが事のはじまりでしたよね。即座に加賀谷少年はうしろをふり返った。すると、その女子生徒が下じきで仏頂面を扇いでいるのが目に入った、ということでしたね。で、その瞬間、少年はこう思い込んだとのことでした。
「僕が臭いから、○○子さんは下敷きで扇ぎ、においを飛ばしているんだ。僕のにおいで嫌な思いをしているんだ」って。
そんなふうに自分のことを思い込むと、当然、他の生徒たちにもおなじように臭い匂いで嫌な思いをさせているのではないかと心配することになりますね?
このとき加賀谷少年は実にそうなったのではないか、ということでした。
だけど、加賀谷少年からすると、自分がそこで、そんな心配をしたりするはずはなかった、と先ほどそれにつづけて言いましたよね。
どういうことか。
加賀谷少年の「予想」からすると、自分がその場面で、そんな心配をしているはずはなかった、ということですよ。
ところが、「現実」は、その「予想」とは背反する事態に至っていた。現に加賀谷少年は、その「予想」に反して、そうした心配をしていた。
このように「現実」と「予想」とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように、俺には思われます。
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A.その背反を解消するために、「予想」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
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B.その背反を解消するために、「現実」のほうを、「予想」に合うよう修正する。
では、もしそこで加賀谷少年が前者Aの「予想のほうを訂正する」手をとっていたら、事はどうなっていたか、ひとつ想像してみましょうか。
もしとっていたら、少年は、自分が心配していることを素直に認めることになっていたのではないかと、みなさん思いませんか。
でも、その場面で実際に加賀谷少年がとったのは、後者Bの「現実のほうを、予想に合うよう修正する」手だった。少年は「現実」を、自分が心配しているはずはないとするその「予想」どおりになっていることにするために、こう修正した。
ボクは何の心配もしていない。ボクの耳にいま、クラスメイトの「カガヤ臭い」となじる声が、急に次々と聞こえてきているだけだ、って。
2020年9月30日、2021年9月13,15日に、主旨は依然のままに保ちながら、表現を大幅に変更しました。
*今回の最初の記事(1/7)はこちら。
*前回の短編(短編NO.18)はこちら。
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