*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.17
いま、ひとりの男性が登場しましたよね。以下、Eさんと呼ばせてもらいます。こう書いてありましたね。
「新聞に父親に似た経団連会長の顔写真が載っていて、それが怒っているように見えた。そのことから、彼は父親が怒っていると受け取ってしまう。テレビの時代劇に、父親に似た俳優が出て、よい役で活躍していた。最近父親の機嫌がいいのは、そのせいだと思う」。
みなさん、触発されることって、ありませんか。
たとえば、誰かが破産したとか、新型コロナウイルスに感染したとかと聞くと、明日はわが身ではないかと急に不安になってくるといったようなこと、ありませんか。もしくは、友人の親御さんが倒れたと聞いて急に、故郷にいるみなさんのご両親の健康が、思い出しように気になってくるといったようなこと、ありませんか。
Eさんも、そんなみなさんのように、自分の父親に似ている経団連会長の顔写真に触発され、急に自分の父親のことが気になり出したのかもしれませんね。
Eさんはその経団連会長の、怒っているように見える顔写真を新聞紙上に目の当たりにしたのをキッカケに、急に自分の父親の機嫌が気になり出した。父親が「バカ野郎!」「この野郎!」などと言って怒っていたらどうしようと心配になってきた。
ところがEさんからすると、自分がそこで、そんなことを気にし出したりするはずはなかった。いや、いっそ、Eさんのその見立てを、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そのときEさんには自信があったんだ、って。自分が父親の機嫌を気にしているはずはないという自信が、って。
で、その自信に合うよう、Eさんは現実をこう解した。
父親の「バカ野郎!」「この野郎!」という怒鳴り声が急に聞こえてきた。さては父親は怒っているな、って。
いまこう推測しましたよ。Eさんは、自分の父親に似ている経団連会長の、怒ったような顔写真を新聞紙上に見たのをキッカケに、急に自分の父親の機嫌が気になり出した。父親が「バカ野郎!」「この野郎!」などと言って怒っていたらどうしようと心配になってきた(現実)。ところがそのEさんには、自分が父親の機嫌を気にしているはずはないという「自信」があった。
このように「現実」と「自信」とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。
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その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
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その背反を解消するために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう修正する。
では、もしその場面でEさんが、前者1の「自信のほうを訂正する」手をとっていたら、どうなっていたか、ひとつ考えてみることにしましょうか? もしとっていたら、Eさんはこう思い改めることになっていたかもしれませんね。
「自分にはこんなふうに父親の機嫌を気にする繊細なところがあるんだな、へー、意外だったなあ」って。
でも、Eさんが実際にそこでとったのは、後者2の「現実のほうを修正する」手だった。Eさんは、自分が父親の機嫌を気にしているはずはないとするその自信に合うよう、現実をこう解した。
父親の「バカ野郎!」「この野郎!」という怒鳴り声が急に聞こえてきた。さては父親は怒っているな。
2021年9月12,13日に文章を一部修正しました。
*前回の短編(短編NO.16)はこちら。
*このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。