(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

統合失調症の「下校途中の高校生に、働かないで何してんだ、あいつは変態だとバカにされる」「テレビCMに犬の食品を勧められる」「車からエンジン音に合わせ、殺してやる、うちの製品をバカにしやがって、という声が聞こえ、追いかけられる」を理解する(4/6)【統合失調症理解#7-part.3】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.15


◆場面7:車幻聴

[パターン④]車幻聴

 自動車からエンジン音に合わせてひき殺してやる」「うちの車の製品をバカにしやがってなどと聞こえてきて追っかけてくる〔引用者注:「仲間がほしいときにこの幻聴が始まる」との記載が欄外にあります〕。


対処方法▶車には喧嘩は売れないので、おびえて自転車でひたすら逃げる。


結果▶何百キロも離れた場所に行ってしまうので、迎えにくる仲間に迷惑をかける(浦河べてるの家べてるの家の「当事者研究」』医学書院、2005年、pp.116-122、ただしゴシック化は引用者による)。

べてるの家の「当事者研究」 (シリーズ ケアをひらく)

べてるの家の「当事者研究」 (シリーズ ケアをひらく)

 


 みなさん、自転車に乗っているとき、車が怖くなること、ありませんか。自転車で、信号機の設置されていない十字路を横断するときや、路肩の設けられていない細い道を走るとき、いまにも車にひかれるんじゃないかとヒヤヒヤすること、ありませんか。


 ひょっとするとCさんにも、自転車に乗っているとき、そんなふうに、「いまにも車にひかれるんじゃないかと心配になることがあるのかもしれませんね。そして、仲間に会うために、大丈夫だと思って自転車に乗って出発したものの傍らを通りすぎる車の勢いが予想してたのより凄まじく、「自分は車をあまく見過ぎていたのではないかと後悔の念に駆られるといったことがあるのかもしれませんね。


 しかしCさんにしてみれば、そうした場面で自分が、「いまにも車にひかれるんじゃないか」と心配したり、自転車で出発したことを後悔したりするはずはなかった。いや、Cさんのその見立ても、少々語弊があるかもしれませんけど、いっそ、こう言い換えてしまいましょう。そのときCさんには自信があるんだ、って。自分がいまにも車にひかれるんじゃないか」と心配したり自転車で出発したことを後悔したりしているはずはないという自信が、って。


 Cさんは「いまにも車にひかれるんじゃないか」と心配になり、「車をあまく見過ぎていたのではないか」と後悔の念に駆られている(現実)。ところが、そのCさんには、自分がそうした心配や後悔をしているはずはないという「自信」がある。このように「現実自信とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように、やはり俺には思われて仕方がありません。

  • A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。

    B.その背反を解消するために、「現実のほうを、「自信」に合うよう修正する


 で、Cさんはこの場面でも、後者Bの「現実のほうを修正する」手をとる。すなわち、自分が「いまにも車にひかれるんじゃないか」と心配したり、自転車で出発したことを後悔したりしているはずはないとするその自信に合うよう、現実をこう解する。


 車が「いまにもひき殺してやる」と脅してきたり、「車をあまく見てたな(うちの製品をバカにしやがって)」と怒鳴ってきたりするのが聞こえる、って。


 つまり、そうした解釈をしてCさんは、車にひかれるのではと心配しているということを、車にいまにも殺してやると脅されているということに、また、車をあまく見ていたのではないかと後悔しているということを、車にあまく見てたなと因縁をつけられているということに、それぞれするのかもしれませんね*1


 いま言ったことを箇条書きでまとめるとこうなります。

  • ①「いまにも車にひかれるんじゃないか」と心配になり、「自分は車をあまく見ていたのではないか」と自転車で出発したことを後悔する(現実
  • ②自分がそうした心配や後悔をしているはずはないという自信がある(現実と背反している自信
  • ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「車が、いまにもひき殺してやる、と脅してきたり、車をあまく見てたなと怒鳴ってきたりするのが聞こえる」(現実修正解釈


 さあ、ここまで立てつづけに、「高校生幻聴」「テレビ・ラジオ幻聴」「仲間幻聴」「車幻聴」の4つを見てきました。その4つのうちのどれでもCさんがしていたことはおなじでしたね。どの場面でもCさんは、前々回と前回の短編で見たのとおなじように、「現実修正解釈」をしていました。そのようにCさんが現実修正解釈をしているのだとわかると、Cさんのそれら「高校生幻聴」「テレビラジオ幻聴」「仲間幻聴」「車幻聴、(精神)医学の見立てに反し、一転、「理解可能なものと見えてきましたよね?


 もちろん、それら4場面でのCさんをいま、完璧に理解し得たと言うつもりは俺にはサラサラありませんよ。むしろCさんのことを多々誤ったふうに決めつけてしまったのではないかと気が咎め、正直な話、ガックリ俯いているところですよ。


 でも、そうは言ってもさすがに、十分明らかになりましたよね? その4場面でのCさんが理解可能であるということは? みなさんのように人間理解力が申し分なくあるひとたちになら、それらの場面でのCさんのことが完璧に理解できるにちがいないということは、ね?





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2020年5月19日に5文字追加しました。2021年9月10,11日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/6)はこちら。


*このCさんシリーズはpart.1,2,3でお届けしています(今回はpart.3)。

  • part.1(短編NO.14)

  • part.2(短編NO.15)


*このシリーズ(全26短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

*1:2020年6月8日にこの一文の構造を、意味はそのままに、変更しました。