(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

統合失調症の「朝鏡を見ると、顔や身体の他の部分に女性の名や悪口などが描かれている」を理解する(2/2)【統合失調症理解#7-part.2】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.14


◆場面3:朝起きたら身体中に落書きされている

 さらにつづきを見ていきます。

[体感幻覚②]朝起きて鏡を見ると顔に文字が書かれていた、の巻き

 朝起きて顔を洗うときに鏡を見たら両方のほっぺたや額にデイケアに通う女性メンバーの名前が不気味に白く浮かび上がり、〝バカ!〟〝死ね!〟という文字や変な模様が足に描かれていることがよくある


✖️これまでの対処方法

 夜寝ているあいだに誰かが忍び込んで自分の顔に落書きをしているのではないかと思いデイケアメンバーを疑惑の眼差し鋭い視線で見ていた


新たな対処法

 この手の仕業をする体感幻覚に、「C専属メイクさん」、その名も〈いくめさん〉と命名した(『浦河べてるの家の「当事者研究」』医学書院、2005年、p.118、ただしゴシック化は引用者による)。

べてるの家の「当事者研究」 (シリーズ ケアをひらく)

べてるの家の「当事者研究」 (シリーズ ケアをひらく)

 


 朝起きると身体のどこかに痛みがあるということから、夜寝ているあいだに、誰かに身体を痛めつけられているのではないかと疑心暗鬼になっているCさんは、洗面所で鏡に映っている自分を見ているときにしばしば心配になるのかもしれませんね。あれ、ひょっとして、いま鏡に映っているボクのほっぺたに女性メンバーの名前がうっすらとイタズラ書きされているんじゃないか。あれ、いまちらっと鏡に映ったボクのお腹に、「死ね」って書いてあったんじゃないか、って。


 でも、Cさんからすると、自分がそこでそんな繊細な心配をしたりするはずはなかった。いや、いっそ、Cさんのその見立ても、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。Cさんには、自分がそんな心配をしているはずはないという自信があるんだ、って。


 で、その自信に合うよう、Cさんは現実をこう解する、ということなのかもしれませんね。


 朝、鏡に映った自分を見ていると、身体のそこここに、女性メンバーの名前や、「バカ!」「死ね!」といった文字、あるいは変な模様が、白く浮かび上がってくる、って。


 さて、いまの場面でも、先ほどとおなじく、「現実自信とが背反していました。こういうことでした。


 疑心暗鬼になっているCさんは朝、鏡に映った自分を見ているとき、心配になる(現実)。あれ、鏡に映っているボクのほっぺに、女性メンバーの名前がうっすらとイタズラ書きされているのではないか? あれ、いまちらっと鏡に映ったボクのお腹に「死ね」と書かれてはいなかったか、って。ところが、そのCさんには、自分がそんな心配をしているはずはないという「自信」がある。このように「現実自信とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、やはり、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。

  • A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう修正する。
  • B.その背反を解消するために、「現実のほうを、「自信」に合うよう修正する


 で、ここでもCさんは後者Bの「現実のほうを修正する」手をとる。自分が、落書きされているのではないかと心配しているはずはない、とするその「自信」に合うよう、現実をこう解する。


 朝、鏡に映った自分を見ていると、身体のそこここに、女性メンバーの名前や、「バカ!」「死ね!」といった文字、あるいは変な模様が、白く浮かび上がってくる、って。


 ここも、くどいかもしれませんけど、箇条書きにしてまとめてみます。

  • ①朝、鏡に映った自分のほっぺやお腹を見て、実はそこに落書きされているのではないかと心配になる(現実)。
  • ②そんな心配をしているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
  • ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「鏡に映ったボクのほっぺやお腹に女性メンバーの名前や、『バカ!』『死ね!』といった文字、あるいは変な模様が、白く浮かび上がってくる」(現実修正解釈


 以上、今回はCさんの寝起き場面をふたつ見ました。


 どうでした? そのふたつの場面でのCさんは、(精神)医学が言うように、ほんとうに「理解不可能」だとみなさん思いました?


 いや、反対に、「理解可能であると確信したのではありませんか?


 もちろん、いまの考察でCさんのことを完璧に理解し得たとは、俺自身まったく思いませんよ。むしろ正直な話、多々誤ったふうにCさんのことを決めつけてしまったのではないかと、しきりに気が咎めているくらいですよ。


 でも、このふたつの場面でのCさんが、(精神)医学の見立てに反しほんとうは理解可能であるということは、いまの考察からでも十分明らかになったのではないでしょうか。申し分のない人間理解力をもったみなさんになら、このふたつの場面でのCさんのことが完璧に理解できるにちがいないと、ハッキリしたのではないでしょうか。


 この要領で、次回、最後の4場面を、つづけざまに見ていきます。





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2020年5月12日に、内容はそのままに文章を一部修正しました。2021年9月6,7,9,10日に文章を修正しました。


*前回の短編(短編NO.13)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。