(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

医学の言うことがみんな嘘になる理由、出来事編(1/3)

*医学の言うことはみんな嘘第3回


 医学の言うことはみんな嘘なんじゃないかと俺、最初に、泣く泣く言いましたね? で、医学の言うことがみんな嘘になる理由として、ぱっとつぎの3つを挙げましたね?

  1. 医学は健康と病気の定義(治るの定義)に失敗している。
  2. 医学は身体を機械と見誤っている。
  3. 医学は誤って、身体に起こる出来事を一点のせいにしている。


 以前確認したこの3番について復習するキッカケを作るために、俺いきなりそんなことを口走ったわけですけど、その復習にとりかかるまえに、まず番号1と2をここまで軽く見させてきてもらいました。


 さあ、いよいよ、いまから本題に入りますよ。


 この番号3については、『医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん』という、失礼極まりないタイトルの文章で先日確認したとのことでしたね? その復習をかねていまから見ていきますよ。先日のその文章では「ものを捉える」とはどうすることなのか考えるところからはじめました。ここでもそれに倣いますね。


(その失礼極まりないタイトルの記事一覧はこちら)


「ものを捉える」とはどうすることか。


 その「もの」が何であれ、「ものを捉える」とは、状況を捉えるということです(ただし、その「もの」を状況の一部分と見ること。以下同様)。俺の目のまえにあるあんパンであれ、遠くにある大木であれ、俺の左手であれ、みなさんであれ、みなさんの脳や目玉であれ、壁紙のシミであれ、音であれ、レモンの香りであれ、コーヒーの味であれ、俺の過去体験記憶像(俺が記憶している過去の体験のこと)であれ、みなさんの未来体験予想像(みなさんが予想している未来体験のこと)であれ、何であれ、「それを捉える」というのは「状況を捉えるということです。


 なぜそう言えるのかについては確認を後回しにさせてくださいね。いまは先を急ぎます。


(確認は当シリーズ第4回に回しますね)


 いま言いましたように、「ものを捉える」とは「状況を捉える」ということです。ひと(の身体)を捉える場合だっておなじです。ひとを捉えるというのもまた、「状況を捉える」ということです。そのことをもっと正確な表現で言えば、たとえばこうなります。


 ひとを捉えるとは、「そのひとが渦中にいる状況を捉える」ということである(ただし、そのひとの身体を状況の一部分と見ること。以下同様)、って。


 いま、「そのひとが渦中にいる状況を捉える」といった言い方をしましたね。これを、ふだんみなさんがよく使う簡単な言葉で言い直せば、こうなりません?


 そのひとの身になる、に。


 つまり、ひとを捉えるとは「そのひとの身になる」こと、とも表現できません?


 けど医学はひとの身になろうとしません。「そのひとが渦中にいる状況を捉え」ようとはしません。そのことを先日、例の失礼極まりないタイトルの文章で、確認しましたよね? 統合失調症と診断されたひとりの男性を例に、ね?


(その回はこちら)


 では、「ひとの身になる」代わりに医学がしてきたのは何だったのか。


 それは、ひとの身体に起こる出来事を一点のせいにすることでした。


 医学が「原因」という名でよんできたのはその一点のことでしたよ、ね?


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前回(第2回)の記事はこちら。


このシリーズ(全5回)の記事一覧はこちら。