*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第5回
いま、統合失調症と診断された男性患者さんについて見ましたね。でも精神医学は、驚くべきことに、統合失調症者は永遠の謎だって言います。理解され得ない人間なんだ、って。
かつてクルト・コレは、精神分裂病〔引用者注:統合失調症のことを以前はそうよんでいましたね〕を「デルフォイの神託」にたとえた。私にとっても、分裂病は人間の知恵をもってしては永久に解くことのできない謎であるような気がする(木村敏『異常の構造』講談社現代新書、182頁、1973年、ゴシック化は引用者による)。
いやむしろ、医学は、その言動が理解され得ないことこそ、統合失調症(者)の特徴だとする、と言ったほうが適切かな。
少し回り道をして、二十八歳のときに精神科医となって以来、私は、統合失調症の患者さんの純粋さに、心が洗われるような思いを味わってきた。(略)
そんな私にとって有利だったのは、もっと頑丈な神経をもつ人たちよりも、彼らの体験に共感できたことである。健康で堪らないような人には、ただ現実感のない、荒唐無稽な妄言にしか思えないことも、私には十分実感として、納得できることが多かった。
まだ駆け出しだった頃、先輩医師の診察につき添って訓練していたあるとき、保護室に長い間閉じ込められている若い女性の患者さんの診察に立ち会うことがあった。(略)だが、彼女の状態は、悲惨なまでに纏まりを失っていた。限界量一杯まで安定剤を投与されていたにもかかわらず、言葉も支離滅裂に近く、幻聴も常に聞こえているという状態で、彼女が喋ると、二人が一度に喋っているようだった。医師との会話も、まったくトンチンカンなものにならざるを得なかった。
だが、私はそばで話を聞いているうちに、支離滅裂にしか聞こえない話であるが、彼女が心の中で何を思い、何を言いたいのかが、何となくわかってきたのだ。(略)
先輩の医師は、熱心な治療家で、彼女を外に連れて出ようと言った。彼女は外の空気が気持ちよさそうで、いろいろ喋るのだが、やはりなかなか話が通じない。彼女は、通訳でも求めるように、私のほうをちらちら見たり、私に向かって話しかけようとする。私が、それに応えると、先輩の医師の顔が微妙に曇るので、ひどく困った。
専門家であっても、彼らの体験を共有することは、しばしば困難である。ただ「了解不能」〔引用者注:「理解され得ない」という意味の専門用語〕で済ましてしまうこともある。いや、「了解不能」であることが、この病気の特質だとされてきたのである。何という悲劇だろう(岡田尊司、『統合失調症』PHP新書、28-30頁、2010年、ゴシック化は引用者による)。
でも、さっきの男性患者さんは、理解され得ない人間(謎・了解不能)なんかじゃなかったですよね。ついさっき男性患者さんのこと、理解できたじゃないですか。いやもちろん、男性患者さんのことを完璧に理解できたと言うつもりは俺には全然ありませんよ。だけど、統合失調症(者)は永遠の謎であるとか、了解不能なんだとか言う精神医学より、断然、男性患者さんの実像に迫り得たとは言えるんじゃないですかね?
じゃあ、いったい俺はどんなことをしたのか。
何も特別なことはしませんでしたよね。ひとにたいしてとるべき当たりまえの態度を男性患者さんにもとっただけでした。男性患者さんが渦中にいる状況がどんなか想像しただけでした。状況・最小単位説を思い出してくださいよ。大木であれ、俺の身体であれ、男性患者さんであれ、音であれ、何であれ、それを捉えるというのは「状況を捉える」ということなんだって確認しましたよね。男性患者さんがどのようにあるかを知るとはまさに、男性患者さんが渦中にいる状況がどんなかを知ることじゃないですか、ね?
さて、俺はいま、男性患者さんが渦中にいる状況がどんなか想像してみただけだって言いました。みなさん、そんなふうに、ひとが渦中にいる状況がどんなか想像してみること、これをふだん何と言います?
そのひとの身になるって言いません?
俺は単に男性患者さんの身になろうとしただけでした。すると男性患者さんの実像に、精神医学なんかより断然近よれた、ってわけですよ。
そのことからあらたに何がわかりますかね?
ゆっくり考えてみますね。
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