(新)Nothing happens to me.

次回は4月1日(月)21:00にお目にかかります

ゴテゴテした、現代科学流の、快さ苦しさの定義

科学するほど人間理解から遠ざかる第27回 

 快さを感じているというのは、「今どうしようとするか、かなりはっきりしている」ということであり、かたや苦しさを感じているというのは、「今どうしようとするか、あまりはっきりしていない」ということであるといったふうに快さや苦しさを理解することは、事のはじめにふたつの不適切な操作*1を立てつづけになす西洋学問にはできないとのことでした。


 では快さや苦しさをどういったものと西洋学問では誤解するのか


 いろんな誤解の仕方があるのでしょうけれども、ここではそのうちからふたつ見ることにし、ちょうど先ほど、そのふたつ目を見はじめたところです


 それは、快さと苦しさを行動にからめて定義づけるアカデミックな解釈でした。


 みなさんにとって身体とは、おなじ場所を占めている「身体の感覚部分」と「身体の物部分」とを合わせたもののことであって、「身体の感覚部分」は身体のうちに含まれます。ところが西洋学問では身体を元素(西洋学問では、見ることも触れることもできず、音もしなければ匂いも味もしないものとします)の集まりでしかないと考え機械と見なし、「身体機械」という名でよんだりします*2


 そんな西洋学問にとって「身体の感覚(部分)」、心のなかにある、「身体機械についての情報」にすぎません*3


 先刻、並木道を大木に向かって歩いているとか、ジャガイモの皮をむいているといった行動を、西洋学問では、そうした「身体機械」の位置取りの変化(「身体機械」に起こる物的出来事)と解すると申しましたが、現代科学は快さと苦しさをそれぞれ、快情動、不快情動とよび、そういった行動まえのウォーミングアップであると考えます。


 こんなふうに、です(理化学研究所脳科学総合研究センターが『脳科学の教科書(こころ編)』で紹介してくれている説を以下、見ます)。

脳科学の教科書 こころ編 (岩波ジュニア新書)

脳科学の教科書 こころ編 (岩波ジュニア新書)

 


 まず行動を好物に接近するものと、敵から逃避するもののふたつに分けます。


 ついで、それに合わせて、情動(科学は感情を情動とよびます)のほうを快情動(快さに相当します)と不快情動(苦しさに相当します)のふたつに分け快情動を好物に接近するという行動まえのウォーミングアップ不快情動を敵から逃避するという行動まえのウォーミングアップとするといった次第です。

.行動を、好物に接近するものと、敵から逃避するもののふたつに分ける。

.それに合わせて情動を、快情動と不快情動に二分する。

.快情動を、好物に接近するという行動まえのウォーミングアップ、不快情動を、敵から逃避するという行動まえのウォーミングアップとする。


 もうすこし詳しくこの解釈を見てみます。


 西洋学問では、行動を、「身体機械」に起こる位置取りの変化とすると先に申しました。現代科学はこの物的出来事を、脳という一点によって身体機械に引き起これされるものとします。脳が、好物に接近する、もしくは敵から逃避するといった行動計画をたて、その計画を実現すべく、電気信号のかたちをした運動指令を、「身体機械」各所に神経をかいして送りそうした行動をとらせるとします。


 そして、脳はそうした行動をとらせるまえに「身体機械、それら行動がスムースに起こるよう、あらかじめウォーミングアップさせておくのだとします。


 で、そうしたウォーミングアップには2種類あるということにし、ひとつは、脳が、「身体機械」に、好物への接近行動をとらせるまえにさせるウォーミングアップ、もうひとつは、脳が、「身体機械」に、敵からの逃避行動をとらせるまえにさせるウォーミングアップ、とします。現代科学は、前者、好物への接近行動まえのウォーミングアップのほうを快情動(快さ)、後者、敵からの逃避行動まえのウォーミングアップを、不快情動(苦しさ)とするというわけです。

.脳が「身体機械」に、好物への接近行動、もしくは敵からの逃避行動をとらせるとする。

.ただし脳はそうするまえに、あらかじめ「身体機械」にウォーミングアップをさせるということにする。

.好物への接近行動まえのウォーミングアップを快情動、敵からの逃避行動まえのウォーミングアップを不快情動とする。


 先にこう申し上げておきました。西洋学問には「身体の感覚(部分)」、心のなかにある、「身体機械についての情報」と解される、と。ではここで、そのところを、みなさんに考え合わせていただきましょう。


 するとこうなります。


脳が身体機械に、好物への接近行動をとらせるまえにさせているウォーミングアップがどのようなものであるかを知らせる情報」が、「身体機械」各所から発し、電気信号のかたちで、神経をへて脳に伝達され、そこで「身体の感覚(部分)」に変換されて、快さの「感じ」という分類のなかに入れられるいっぽう、「脳が身体機械に、敵からの逃避行動をとらせるまえにさせているウォーミングアップがどのようなものであるかを知らせる情報」が、「身体機械」各所から発し、電気信号のかたちで、神経をへて脳に伝達され、そこで「身体の感覚(部分)」に変換されて、苦しさの「感じ」という分類のなかに入れられる、といったことに、です。


 しかし、快さや苦しさをこんなふうに解したのでは、何が何だかわからなくなると言うべきではないでしょうか。

つづく


2018年12月25日に表現を一部修正しました。


前回(第26回)の記事はこちら。


それ以前の記事はこちら。

第1回(まえがき)


第2回(まえがき+このシリーズの目次)


第3回(快さと苦しさが何であるか確認します。第7回②まで)


第4回


第5回


第6回


第7回


第8回(西洋学問では快さや苦しさが何であるかをなぜ理解できないのか確認します。19回③まで)


第9回


第10回


第11回


第12回


第13回


第14回


第15回


第16回


第17回


第18回


第19回


第20回(最後に、西洋学問では快さや苦しさを何と誤解するのか確認します。)


第21回


第22回


第23回


第24回


第25回


このシリーズ(全32回)の記事一覧はこちら。

 

*1:「絵の存在否定」と「存在の客観化」がそのふたつの不適切な操作に当たります。

絵の存在否定(科学の奇っ怪な出発点)


存在の客観化(科学は存在を別ものにすり替える)

*2:何をもって身体とするかは、当シリーズ第10回で確認しました。

*3:西洋学問のもとで、身体感覚が、「身体機械についての情報」と解される旨と経緯は、当シリーズ第21,22回で確認しました。