*科学するほど人間理解から遠ざかる第7回
快さを感じているというのは、「今どうしようとするか、かなりはっきりしている」ということであり、かたや苦しさを感じているというのは、「今どうしようとするか、あまりはっきりしていない」ということであると、精魂こめて確認してきました *1。
せっかくです、快さと苦しさがそれぞれそうしたものであることを、例をもちいて、順にご確認いただくとしましょう。
みなさん、ご自身が強い快さを感じておられる瞬間をひとつ思い描いてごらんください。「うまいうまい」と夢中で食事を楽しんでおられる瞬間でも結構ですし、温泉につかっておられる至福の瞬間でも、あるいは温泉からあがられたあと、腰に手を当ててフルーツ牛乳をお飲みになっている瞬間でも、また夜、布団にお入りになったときのあの超絶気持ちいい瞬間や、仕事が終わった直後の開放感ハンパない瞬間でも、かまいません。
えっあっ、もちろん、セクシュアルな瞬間をお挙げになってもまったくさしつかえありません……そのほか、つぎのように表現される瞬間をご想起くださってもなんら問題ありません。具合が良い(具合の良さを感じている)、調子がいい、楽しい、リラックスしている、安心している、伸び伸び(と何かを)している、夢中になっている、集中している、没頭している、喜んでいる、嬉しい、意欲がみなぎっている、燃えている(ガッツポーズしているときなど)、しゃきっとしている、すっきりしている、見とれている(美を感じている)、聞き惚れている(美を感じている)、いい匂いを嗅いでいる、うっとりしている、ほっとしている、迷いがない、生きがいを感じている等々。
ともかく、強い快さを感じておられる瞬間をひとつ、ご想像ください。
そのように強い快さをお感じになっているというのは、「今どうしようとするか、極めてはっきりしている」ということであると言えはしないでしょうか。「今どうしようとするか、はっきりしている」ほど、快さをより強く感じていると言えるのではないでしょうか*2。
どうでしょうか、みなさん?
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