(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

みなさんは生きておられるあいだ、毎瞬、何をなさっているか

*科学するほど人間理解から遠ざかる第4回


 快さを感じているというのは、「今どうしようとするか、かなりはっきりしている」ということであり、かたや苦しさを感じているというのは、「今どうしようとするか、あまりはっきりしていない」ということであると申しました。快さを強く感じていればいるほど、「今どうしようとするか、よりはっきりしている」と言え、苦しさを強く感じていればいるほど、「今どうしようとするか、よりはっきりしていない」と言えるとのことでした。


 俺がいったい何を申し上げているのか、いまから補足解説させていただきます


 先ほど、「」という言いかたで、「今という一瞬」を表現することにしますと宣言申し上げたことをここであらためてご想起のうえ、以下お聞きください。


 いきなりですが、みなさん、いまこの瞬間のみなさんの状態を俺にご教示くださいとお願いしますと、どうお答えくださるでしょうか。


 おそらくどなたも、会話中であるとか、食事中であるとか、歩いている最中であるとか、「おたくの話を聞いている最中にきまっているじゃないですか」といったように、「〜中」といった表現をもちいてお答えくださるか、もしくは、会話をしているとか、食事をしているとか、歩いているとか、「安心してください、おたくの話を聞いていますよ!」といったように、「〜している」といった表現形式を使ってお答えくださるのではないでしょうか。


 ご自身の過去の思い出のなかからお好きな瞬間のをひとつお選びになって、そのときのご自身の様子をご教示くださいと俺がお尋ねしてもおなじことでしょう。どなたもみな、世界を放浪中だったとか、学校もしくは職場で活躍中だったとか、熱愛中だったというように「〜中」とお答えになるか、世界を放浪していたとか、学校もしくは職場で活躍していたとか、「何をしていたかなんておたくには言えませんねムフフ」といったように「〜していた」といった言いかたでお答えくださるのではないでしょうか。


 では、ご自身のいまこの瞬間の状態や過去のある一瞬の状態を、「〜中」とか「〜している/していた」といった形でみなさんお答えくださるというこのことは何を意味するのでしょう?


 それが意味するのは、生きておられるうちのどの瞬間をとっても、みなさんは、出来事の最中におられるということです。


 もっといえば、みなさんは生きておられるあいだどの瞬間でも、「(という一瞬)をどういった出来事の最中とするか」という問いに、身をもってお答えになるということです。


 ちょうどいまから25分38秒まえの俺は、その瞬間の「今」を、トイレに行くという出来事の最中としていました(その瞬間、俺はトイレに向かっている最中だったとか、トイレに向かっていたと表現できます)。みなさんはその瞬間、「今」をどういった出来事の最中となさっておいででしたか? その瞬間の「今」を、朝食を作るという出来事の最中となさっておられた?(なら、朝食を作っておられる最中だったとか朝食を作っておられたとおっしゃれます。)それとも、ミントの香りのする一陣の風のようにさわやかに学校もくしは職場に行くといった出来事の最中としておられた?(なら、通学もしくは通勤中とか、通学もしくは通勤していたとおっしゃれます。)


 まさにそのように身をもって「今(という一瞬)」を出来事の最中とすることをこそ、みなさんはふだん、行動とか行為とか運動とおよびになっているんじゃないでしょうか。

つづく


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