*科学が存在をすり替えるのをモノカゲから見なおす第16回
事のはじめに「絵の存在否定」という不適切な操作をなす科学が、それにひきつづいて「存在の客観化」という存在と関係のすり替え作業をやり、この世に実在するのは「見ることも触れることもできず、音もしなければ匂いも味もしないところの元素」だけであるとするに至る経緯を確認した。物体は元素の集まり、音は空気の振動、匂いは匂い分子、味は味物質のことにそれぞれなるとのことだった。
2018年書き直しシリーズ第2弾はここで一応のところ、終了である。
どうだろう、いまやみなさんの胸のうちで、つぎのような疑念がでっかい頭をもたげているんじゃないだろうか。
「存在の客観化」という作業によってこんなふうに存在と関係を別のものにすり替えてしまっても、存在を把握することの妨げにはならないんだろうか。
おそらくみなさんはその問いへの答えを早速、物理学や化学の実績のもとに読みとろうとしておいでだろう。物理学や化学の実績はその問いにどう答えている? 存在と関係をこうして別ものにすり替えたって支障はないと示唆している? いやそれともむしろ、こう教えてくれている?
「たしかにこんなすり替えをやると、世界観や存在観はどうしようもないまでに破壊されるけど、だいたい世界観とか存在観なんか、社会の体勢や労働やペナントレースやデートや結婚生活には関係のないことだし、そもそもそんなふうにすり替えたればこそ、物理学や化学は逆に、輝かしい成果を出すことが可能になったのである」と?
が、そうお考えになっても、みなさんの表情はどこか晴れないとお見受けする。
仮にそうした存在と関係のすり替えをやるのが有効有益だとしても、果して身体にもそうだと言えるのか、という疑念がみなさんの胸のうちで強烈にモヤモヤするんじゃないのか。
こうしてこの書き直し第2弾では、最後に身体について少し見てから、みなさんにお別れ申し上げることになる。
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