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科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

「統合失調症」を理解する7

*身体をキカイ扱いする者の正体は第21回


 先ほど統合失調症の例を用いて確認しました。精神医学は患者を精神に異常のあるものとして理解しようとしますが、それではそのひとを理解することはできないということでした。論理的に考える限り、ひとはひとりの例外もなくみな正常であって、異常がある人間はこの世にひとりたりとも存在しないとしか考えられません。ほんとうは正常である患者を精神に異常のあるものとして理解しようとしても、理解できるはずはないというわけでした。
 

 さてこうして考察をつづけてきた結果、精神医療なるものが仮にあるとすれば、それがいったい何を為すべきかがますます明白になったように思われます。精神医療なるものが仮にあるとすれば、それが為すべきは、精神が正常であることを健康、かたや精神に異常があることを病気と考え、異常から正常になるのを治療の目的とすることなどではなく、苦しんでいるひとに手をさし伸べその苦しさが減り、あわよくば快くなるよう手助けすることだとよりハッキリしたのではないでしょうか。


 統合失調症の例をいくつか見てきたついでにそのことについても例を用いて確認してみましょう。これまでに挙げた例を総ざらいします。

統合失調症を発症したある青年は、入院させられてからも、自分が病院にいるということを受け入れようとせず、「芝居はもう止めてください」「これは、ドッキリカメラか何かでしょう?」と言い、これが現実だとは、なかなか認めようとしなかった。彼は入院する十日ほど前から、自分を見る周囲の目が変わったと感じ、それを自分の才能に世間が注目していると解釈した。「どこに行っても、見られているんですよ。たぶんテレビ局のスカウトだと思います」(岡田尊司統合失調症PHP新書、2016年、91ページ、2010年)。

統合失調症 (PHP新書)

統合失調症 (PHP新書)

 


 入院する十日ほど前からどこに行っても見られているように感じ出したということでしたが、それがひと目を気にしはじめたということであれば、どうでしょうかひと目を気にするというのは、苦しむことではないでしょうか。しかもどこに行ってもひと目が気になるとなれば、四六時中苦しむことになります。もし精神医療なるものがあるとすれば、こうした苦しみにこそ、手を差し伸べるべきではないでしょうか。

 ジャズ・トランペッターで作曲家のC(引用者注:お名前はここでも伏せさせていただきます)は、統合失調症を克服したミュージシャンとして知られている。Cは、八歳のときからトランペットをはじめ、十代のときには、その才能を示した。頭脳優秀だった彼は、スタンフォード大学に進学するが、その頃から不安定な徴候を示しはじめる。十八歳のとき、突然自殺未遂をして家族をうろたえさせた。しかし、統合失調症と診断されたのは、二十代になって幻聴や纏まりのない会話や行動がはっきりはっきりみられるようになってからである。ある日、オレンジジュースをのんでいると、幻聴が彼に命令したのだ。「窓から飛び出せ」と。Cは、窓ガラスに向かってジャンプした。窓ガラスは割れ、彼は血まみれになったが、辛うじて外に飛び出さずに済み、転落死を免れた(同書93ページ)


 二十代になって幻聴や纏まりのない会話や行動がはっきりみられるようになったと書いてあります。苦しみつづけていたのではないでしょうか、ついには自殺しようとするに至るまで。

ある若者は、よく「奴隷になれ」という声が聞こえてくると訴えた。若者は気弱な性格で、自分のしたいことがあっても、抑えてしまうところがあった。本当は、進みたい分野があったのだが、周囲の勧めに従ってそれは諦め、別の分野に進んだのだ。若者の気持ちの奥底には、自分は他人の意思に従属させられているという思いがあったと考えられる(同書94〜95ページ)。


 自分の気持ちを押さえつけるのは苦しいことです。ひとの奴隷になるという屈辱を味わうのもまた苦しいことです。若者はたえず、苦しんできたのではないでしょうか。

 家族から、よく電話で浪費をいさめられている男性患者は、電話でガミガミ叱責された後で、幻聴がすると訴えた。幻聴は、「小遣いばかり使って」「お菓子ばかり食べて、あんなに太っている」と自分を非難する内容だった(同書95ページ)。


 家族と同じようにほかのみんなも内心、自分のことを非難しているのではないかと気にすることは苦しいことです。いったんそのように気になり出すと止まらなくなるというのは、苦しむのが止められなくなるということです。この男性が医師に訴えているのは苦しみではないでしょうか。

 ある男性患者は、両親が偽者だと繰り返し主張した。医師の両親と、生真面目な母親は、本人が二十代のはじめに発病したとき、ひどくショックを受けた。しかも、男性患者は幻覚妄想状態で、死のうとして部屋に火をつけ、顔や体に大やけどを負ってしまったのだ。何度もの植皮手術によってもケロイドが残った。息子を襲ったあまりの悲劇に、両親は二重の落胆を覚えたのである。


 男性患者が、両親は偽者だという妄想を語りはじめたのは、やけどから回復した頃からである。かなりの年月がたってから、彼は自分の思考過程を振り返って、次のように話した。自分が大やけどをして入院したとき、両親はとても冷淡だった。自分を見る目が他人のように冷ややかで、面会にもあまり来なかった。自分がこんな苦しい思いをしているのに、そんなふうに冷たくしていられるのは、本当の両親ではないからだと思うようになった、と。


 両親が偽者だという妄想は、悪化する度に何度も現れた。回復しても、両親に対する関係は冷ややかで、少し緊張感を孕んだものだった。偽者の親だという妄想が薄らぎはじめたのは、父親が亡くなった直後からだ。母親も亡くなった後、本人はとても安定した状態となった(同書148ページ)


 男性が両親を偽者だと主張していたときに訴えていたのは、両親に冷淡にされることでこうむる苦しみだったのではないでしょうか。


 せっかくのこの機会です。統合失調症のあらたな例もいくつか追加で見ておきます。


 音学大学の生徒は医師に、つぎのようにとぎれとぎれに話したそうです。

「もっと本がよみたい。・・・学校にはしばらく行かないで・・・家で一〇回だけピアノを弾いて・・・(そして?)まわりがすごくうるさい。だから・・・おじさんが、おーそどっくすな本をよみなさい・・・(おじさんが?)黒人でアンドレ・ワッツというピアニストがいて、その曲を一回弾いて外に出たり、母親がアメリカ人で・・・カンパネラというピアノを弾いていたわけです。・・・でもピアノにかぎをしめてしまいました。(だれが閉めたの?)私です。・・・今、本を置いてきたのです。椅子のところ・・・」(平井富雄、関谷透『目でみる精神医学』より引用)(同書102ページ)


「まわりがすごくうるさい」と言っています。身体に不安のあるかたが、しばしば自分の身体感覚に気を取られて上の空になるように、また悩みごとのあるひとが悩みごとに気を取られて上の空になるように、音大生も「まわりの音」に気を取られ、医師との会話が上の空になっていたのではないでしょうか。ずばり、音大生は「自分の雑念」に気を取られていたのではないでしょうか。みなさん、雑念が湧く集中できない)というのはどういう状態でしょうか。苦しむということではないでしょうか。医師はまさに、お腹を押さえながらうずくまって呻いているひとを目のまえにしているのと同じように、苦しんでいるひとの姿を目の当たりにしていたのではないでしょうか。

「みんなが見るんです。私のことを妬んで。そしたら、飛ぶんです。頭が。すごく飛ぶんです。どうしたらいいですか。もういやなんです。飛ばないようにしてください」(同書103ページ)


 みんなに見られているというのは事実でしょうか。それとも、背後や視野の隅からひとが見ているように感じるが、ほんとうは誰にも見られていないという可能性もあるでしょうか。が、実際に見られているのか、単に見られていると勝手に感じているだけなのかはさておき、見られるのが苦痛なようです。見られる(もしは見られていると感じる)と、それまでの自分でいられなくなると言っているのではないでしょうか。動揺して、気持ちが乱れたり、考えたくもないことを考えるようになったり、ものごとに集中できなくなったりして苦しいということなのではないでしょうか。このひとも医師にいかに苦しんでいるか、訴えているのではないでしょうか。そして苦しまないようにしてほしいと要望しているのではないでしょうか。

「なんか、おかしくてね。ピコーンとくるんですよ。そしたら、頭がバリバリして、厭な感じがするんです。風呂に入った日に、食事をしたときになりやすいですね。骨がジンジンして、疲れるんです。ガンマー毒素が増えるんです。寝ているしかないですね」(同書104ページ)


「ピコーンとくる」、「頭がバリバリして、厭な感じがする」、「骨がジンジンして、疲れる」といったようにどのように苦しいか医師に訴えています。苦しさが減り、あわよくば快くなることをふだん切望しているが、そのための手段が見つからず、「寝ているしかない」と言っています。


 以上、統合失調症の例をざっと見てきました。再度、僭越ながら申し上げます。


 精神医療なるものがあるとすれば、為すべきは、訴えられる苦しみに耳を傾け、その苦しさが減り、あわよくば快くなるよう何らかの手助けをすることではないでしょうか。


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