*身体をキカイ扱いする者の正体は第16回
精神医学は患者を精神に異常があるものとして理解しようとします。しかし、それはむしろ患者のことを理解するのをはなっから拒否することでした。
では、そのひとたちを理解するにはどうすればいいのか。
そのひとたちを異常と見るのをやめ、そのことたちのことを、いわゆる健常者(精神医学に精神を正常であると判定されるひとたち)をふだん理解しようとするときのように理解しようとすればいいのではないか、すなわち、「そのひとたちの身になって考え」ればいいのではないか、と申しました。
いま「そのひとたちの身になって考える」と、そのひとたちのことを理解できるようになるのか、実際に確かめようとしています。
最初に軽く肩をほぐすために、練習問題をふたつやることにしました。つぎはそのふたつ目です。
少し汚い話になります、ご了承ください。数年まえに定年退職した、自分の意見をいつもぶれずに持つBさんがある日、みなさんに訴えるとします(昔、新聞で読んだ話をもとにしています)。
「ある日のわたしの便に血が混じっていた。家族がわたしに毒を盛っているのだ!」
みなさんはふだんご友人や同僚の話を理解しようとなさるときと同じように、「Bさんの身になって」こうお考えになるのではないでしょうか。
「そういえばBさんは、毎朝、ラジオ体操や乾布摩擦をすると言っていたな。健康診断を欠かさないとも、な。自分の健康に強い自信を持っているらしい。いくら健康に気をつけていても、便に血が混じることはあるし、年を取ってくればなおさらだが、実際に便に血が混じるという現実に直面しても、自分の便に血が混じるといったことは起こり得ないというBさんの自信はビクとも(?)ゆらがなかった。Bさんはその自信にもとづいて現実をこんなふうに解したのではないだろうか。『おかしい、健康であるわたしの便に血が混じることなどあり得ないのに、どうしてこんなことになったのか。あ、そうか、食事に毒が盛られていたのにちがいない。そうでもなければ、わたしの便に血が混じるはずはない。家族がわたしに毒を盛っている!』」
いまみなさんが「Bさんの身になってお考えにな」ったところを箇条書きでまとめるとこうなります。
- ① 自分の便に血が混じるという現実にBさんは直面する。
- ② Bさんには、自分の便に血が混じるといったことは起こり得ないというゆるぎない自信がある。
- ③ Bさんはその自信にもとづいて現実を解釈する。「そうか、毒を盛られて出血したのだ」。
つぎに参ります。いよいよ本題に入りましょう。精神医学に統合失調症と診断された青年について理解しようと試みます。
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