(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

科学には苦しさや快さなどどうでもいい

*身体をキカイ扱いする者の正体は第13回

 機械にしか用いることのできない正常異常という区分けを、ほんとうは機械ではない身体に用いる科学には、快さや苦しさが何を意味するのかがわからないと申しました。いまからこのことを簡単に見ていきます。


「身体の物的部分」と「身体の感覚部分」(身体感覚のこと)とがほぼ同じ場所に重なってひとつになっているものが身体でした。「身体の物的部分」と「身体の感覚部分」は身体というひとつのものの二部分(二要素?)であって、身体のうちには「身体の感覚部分」が含まれます。


 しかし、科学は事のはじめに「絵の存在否定」という不適切な操作を為し、身体を心の外に実在するじかに見ることも触れることもできない分子の集まったものと考えます。このように科学にとっての身体には、「身体の感覚部分」は含まれません。時計や掃除機といった機械と同じく、単に分子が寄せ集まったものにすぎません。たしか「身体の感覚部分」を含まないこの「科学にとっての身体」を身体機械と呼ぶことにしたように記憶しています。科学にとって「身体の感覚部分」は心のなかにある、「身体機械」(心の外に実在し、じかに見ることも触れることもできない分子集合体)についての情報です(chapter2より)。


 科学は「身体の感覚部分」をこのように解したうえで、快さと苦しさに分けます。で、快さについては心のなかにある、「身体機械が正常であるという情報のこととし、息がしにくいとかだるいといった苦しさについては心のなかにある、「身体機械に異常があるという情報のこととします。


 ところがこのように快さや苦しさを解しますと、快さや苦しさが一気に何を意味するものかがわからなくなるというわけです。


 例をふたつ用いて、そのことを確認します。


 紙で少し切っただけなのに指先がとても痛むことがあります。この痛みは、いま見ました科学の解釈によりますと、心のなかにある、「身体機械に異常があるという情報です。そのように痛みを感じることで、みなさんは心の外に実在する、じかに見ることも触れることもできないご自身の「身体機械に異常があるとお知りになればいいということになります。


 が、何かに夢中になっていると(おしゃべりを楽しんでいたりなどすると)、そうした痛みを感じなくなり、ふとした瞬間に再度痛みを覚えはじめ、指先が切れていたことをやおら思い出すということがしばしばあります。何かに夢中になって指の痛みを感じていなかったあいだ、指先から傷がいっとき消えていたというのでは当然ありません。科学の考えかたで言えば、そのあいだも「身体機械」の指部分には依然、異常がありました。


 このように、苦しさを感じていないことをもって、「身体機械は正常であると断言することはにわかにはできなくなります


 逆もしかりです。苦しみを訴えに行った病院で検査してもらっても、「身体機械」に異常はないと結論づけられることがあります。科学の解釈によりますと、何度もクドクドと申して恐縮しますが、苦しさとは心のなかにある、「身体機械に異常があるという情報のことでした。みなさんは苦しさをお感じになれば、心の外に実在するじかに見ることも触れることもできない「身体機械に異常があるとお知りになればいいということでした。ですが、いま挙げました例のように、苦しさを感じていても、「身体機械」に異常が認められない場合が多々あります。


 このように、苦しさを感じていることをもって、「身体機械に異常があると断言することもまたにわかにはできなくなります


「身体の感覚部分」を心のなかにある、「身体機械」についての情報とする見方にのっとって、快さを心のなかにある、「身体機械が正常であるという情報のこと、かたや苦しさを心のなかにある、「身体機械に異常があるという情報のこととそれぞれ解しても、見てきましたように皮肉にも、快さもしくは苦しさを感じていることをもって、心の外に実在する「身体機械を正常もしくは異常と判定することはにわかにはできなくなり、結局、快さや苦しさは、「身体機械が正常であるか異常であるかを見極めるのに何の足しにもならない、どうでもよいものであることになります(「身体機械」を正常と異常に振り分けるときには「身体機械」だけを見て、「みんなと同じかどうか」、また「みんなと同じではない」ものは劣っていることにできるか、を基準にすることになります)。


 以上、身体を機械と考えると、快さや苦しさが何であるかよくわからなくなることを確認しました。この他、科学には、寡聞な俺の知っている限りでは、快さや苦しさを快情動または快情動とする見方もありますが、その見方をとる場合も同じく、快さと苦しさが何であるかがよくわからなくなると考えられます。快さを、好物に接近するまえに脳が「身体機械」に引き起こす準備運動、いっぽう苦しさを、敵から逃げるまえに脳が「身体機械」に引き起こす準備運動とするその解釈については後日、別の場所で点検する予定です。

つづく


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