(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

副作用とか毒性というものを医学は十分に気にしてきたか

*身体をキカイ扱いする者の正体は第12回


 みなさんお元気でしょうか。お目にかかるのは、細かいことを抜きにして申しますと、3ヶ月ぶりといったところかと存じます。たいへんご無沙汰しております。


 以前、俺が何をモゴモゴと申し上げている途中だったか、もうみなさん覚えていらっしゃらないのではないでしょうか。つづきを再開するにあたって、まず前回までを簡単にふり返ってみることにします。chapter1から確認してきたのはつぎのことでした。


.身体は機械ではない(身体のうちに身体感覚は含まれる)。


.しかし事のはじめに「絵の存在否定」という不適切な操作を為す科学には、身体は機械としか考えられない(身体のうちに身体感覚を含められない)。


.そんな科学は、機械に用いられる正常異常という振り分け方を身体にも用いる。


.そして、健康とは身体が正常であること、病気とは身体が異常であること、治療とは身体の異常状態を正常状態にすることを目的とするものとする。


.が、正常異常という振り分け方を、ほんとうは機械ではない身体に用いることはできない(どんな身体もたったひとつの例外もなくすべて正常と判定されるだけである)。


.実に科学は、機械にしか用いることのできない正常異常という振り分け方を、ほんとうは機械ではない身体に用い、いくつもの身体を不当にも異常扱いするという差別を行ってきた(医学は「みんなと同じではないもの」〔ただし医学が劣っていることにしたいものに限る〕をそのように不当に差別する体系である)。


.実際のところ、みなさんが真に健康とお考えになるのは苦しくない状態がつづくこと、かたや真に病気とお考えになるのは苦しい状態がつづくことである。みなさんが医療に真に切望なさる処置は、苦しさが減り、あわよくば快くなることを目的とするもの(癒し)である。


 みなさんが診察室で、最近息がしにくいと訴えられるとすれば、それは苦しさを問題とされ、苦しさが減り、あわよくば快くなることを目的とする医療処置をお求めになっているということではないでしょうか、とまえのほうで申しました。しかしそのとき医師に勧められた医療処置を受けると、たしかに息がしにくいという当初の苦しさは無くなるものの、代わりに別の苦しさをあらたにこうむることになると仮定してみましょう。その医療処置を受けるのは、当初の息がしにくいという苦しみを、あらたにこうむる別の苦しみと交換するようなものだと考えられます。したがって、当初の息がしにくいという苦しさより、あらたにこうむる別の苦しさのほうが深刻なものなら、その医療処置を受けると結果、損をするだけに終わるとみなさん計算なさるだろうということでした。


.医療処置を受けるとあらたにこうむることになる別の苦しみ、すなわち副作用とか毒性と呼ばれるものをみなさんや俺は気にせずにはいられない。


 にもかかわらず医学がこうした苦しみについてまともに配慮しようとしてこなかったこと、また今でもそういう傾向が多々あることは確かなことではないでしょうか。治療を受けてこうむる苦しみをどんなに大きなものであれガマンすることを医学が患者に強い、そうしたガマンを美徳のように称揚しているのをみなさんしばしばお聞きになりませんか(そうした苦しさをよりこうむればこうむるほど、医療処置を受けて得られた利益は相殺されていくというのに)。


 精神医学に触れた先のところでも少し書きましたように、科学には快さや苦しさが何を意味するのかがわかりません。身体を機械と見ますと、快さとか苦しさが何であるのかうまく理解できなくなります。副作用とか毒性と呼ばれるものに配慮するのが難しくなります。


 身体を機械と見ると、快さや苦しさがうまく理解できなくなるというこのことを次回からあらたに見ていきます。


第11回←) (第12回) (→第13回

 

 

以前の記事はこちら。

第1回


第2回


第3回


第4回


第5回


第6回


第7回


第8回


第9回


第10回


このシリーズ(全22回)の記事一覧はこちら。