(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

手足が震えるのは運動障害か

*身体をキカイ扱いする者の正体は第10回


 科学は、機械にしか用いることのできない正常異常という振り分けかたを、機械ではない身体に用います。それは、「設計製造者(世界)によって定められたありようを身体が呈していないこと」を問題にすることでした。そうした問題が無いか有るかで、身体を正常なものと異常があるものとに振り分けることでした。


 科学は、身体が正常であれば健康とか健常と言い、異常があれば病気であるとか障害があると表現します。また治療を、異常状態から正常状態になることを目的とするものとします。


 そうして医療を、「世界によって定められたありようを身体が呈していない」という問題を扱うものと考え、医学と呼びます。


 いわば医療を、身体という機械の修理業とするわけです(現代科学にとって心はもはや脳という身体の機能にすぎません)。


 しかし医療が問題とするべきものは、ほんとうに、「世界によって定められたありようを身体が呈していないこと」(異常)なのでしょうか。


 みなさんが医療に問題として訴えられるのはむしろ、苦しいとか快くないということなのではないでしょうか。


 これからそのことを、手足の震え視野狭窄(なんら痛みは伴わないと仮定します)、息がしにくい状態、の三つを例に考えてみます。


 では、まずみなさんが病院で手足が震えると訴えられ、パーキンソン病と診断されることになると仮定してみます。


 ご想像ください。もし医師が診察室で、みなさんの手足の震えを運動障害(手足に「設計製造者によって定められたまっすぐにすっと動くというありようを呈していない」という問題が有る状態)と説明するとすれば、みなさんはそのときどうお感じになるでしょうか。細かいことにはこだわられない寛容なみなさんもさすがに、ご自身の訴えや状態がどこかうまく理解されていないとお感じになるのではないでしょうか。


 はたして、診察室のイスにお座りになったみなさんが、目の前の医師に問題としてそのとき訴えておられるのは、ご自身の手足が「設計製造者(世界)によって定められたありようを呈していない」ということなのでしょうか。みなさんが、手足の震える状態から、手足の震えない状態になることをお望みであるというのは、「設計製造者(世界)によって定められたありようを呈していない」状態(異常)から、「設計製造者(世界)によって定められたありようを呈している」状態(正常)になることをご要望であるということなのでしょうか。


 いや、みなさんの手足が震えるというのは、それこそ、苦しい(もしくは快くない)ということなのではないでしょうか。みなさんが医師に手足が震えるとおっしゃってそのとき訴えて問題とされているのは、苦しさではないでしょうか。


 みなさんいろんなときにお震えになります。悪寒をお感じになっているとき、冬に屋外をお歩きになっているとか冷たい水をお触りになっているとき、緊張なさっているときなどなど。想像なさってみてください。そのときの震えているというのはどういう状態でしょうか。それは苦しい状態(もしくは快くない状態)と言うべきものではないでしょうか。みなさんそうして震えておられるとき、どうお思いでしょうか。そうした苦しさが減じ、あわよくば快くなることをお望みなのではないでしょうか。暖かい缶コーヒーを手に持ちたいとか、身体の芯から暖まるスープを口にしたいとか、暖を取りたいといったように、苦しさが減じ、あわよくば快くなることをお望みになっているのではないでしょうか。


 それと同じで、いまみなさんが想像のなかで病院を訪れておいでなのは、手足が震えるという苦しい状態(もくしは快くない状態)から、手足が震えないという苦しくない状態(もしくは快い状態)になるのを目的とする医療処置を受けられるのではないかと期待されてのことではないでしょうか。


第9回←) (第10回) (→第11回

 

 

この件については、後日、こういった記事も書きました。


このシリーズ(全22回)の記事一覧はこちら。