(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

存在について実にみなさんよくご存じである

*身体が機械じゃないのは明らかであるが第6回

 ではここで、松の木に歩み寄っているあいだ、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」というこの問いに逐一答えるのは何も松の木だけではないと指摘することにいたしましょう。


 松の木に歩み寄るとき(だけには限られませんが)、俺の身体も、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えます。俺の身体にとって、昼日中、風に吹かれたりしながら松の木に歩み寄るというのはまさにそれこそ、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えることにほかなりません。しかし、俺の身体が「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるというこのことも、なんら特別なことではありません。何度も書いておりますように、松の木に歩み寄るとは、自分が松の木に、先ほどからどのように歩み寄ってきてこれからどのように歩み寄っていくか記憶と予想を同時にしながら歩くことであって、それはとりもなおさず、松の木が、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに、先ほどから逐一どう答えてきてこれから逐一どう答えていくか把握に努めながら歩くことであると同時に、俺の身体が、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに、先ほどから逐一どう答えてきて、これから逐一どう答えていくか、把握に努めながら歩くことです。


 松の木に歩み寄るとはどうすることかご存じであるみなさんは、松の木が「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えることのみならず、俺の身体が「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えることについてもよくご存じであるわけです。


 またくわしい説明は省かせていただきますが、いま俺の身体について申しましたのと同じことが、頭上の太陽や雲、あたりを駆けぬける風、カサコソとかガサゴゾという音などそれぞれ、にも言えます。それらそれぞれもまた、俺が歩み寄っているあいだ(だけには限られませんが)、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えます。しかし、太陽、雲、風、音などそれぞれが、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるというこのこともなんら特別なことではありません。もう耳にタコがおできになるほどみなさんお聞きになってこられたように、松の木に歩み寄るとは、自分が松の木に、先ほどからどのように歩み寄ってきてこれからどのように歩み寄っていくか記憶と予想を同時にしながら歩くこと、つまり、松の木、俺の身体、太陽、雲、風、音などそれぞれが、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに、先ほどから逐一どう答えてきて、これから逐一どう答えていくか把握に努めながら歩くことです。


 松の木に歩み寄るとはどうすることかご存じであるみなさんは、松の木、俺の身体、太陽、雲、風、音などそれぞれが、すなわち存在が、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるものであると実によく知っておられるわけです。

つづく


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