(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

デカルトが紙のムコウで超絶手品を実演してくれるの巻

デカルトの超絶手品ぁ〜ニャで科学は基礎を形作る第2回


 さっそく彼の出演する『省察』という著書を開けてみましょう。第二省察をご覧ください。ほら、紙のムコウにデカルトが立っています。いまから俺たちの前で存在の客観化をやってのけようと俺たちが読み進むのを待っています。彼が片手に持っているのが何か、みなさんここからおわかりになります? あれこそが有名なミツロウです。いえいえ、いまみなさんがおっしゃったのはクリスマス・ソングで有名なタツロウですから。「キミは夜フケすぎにユキへと変わるだろう」の。


 見てください。頭上に蜜蝋をかかげて、彼が何か言いはじめました。


 聞きましょう(デカルト省察山田弘明訳、pp.51-53、2006年、1642年)。

省察 (ちくま学芸文庫)

省察 (ちくま学芸文庫)

 

 

それはたったいま、蜜蝋の巣からとり出されたばかりである。それ自身の蜜の味のすべてをまだ失ってはおらず、そこから集められた花の香りを多少とも留めている。その色、形、大きさは明白である。固く、冷たく、容易に触れられ、指でたたけば音がする。要するに、そこに備わっているものはすべて、ある物体がきわめて明証的に認識されるために必要と思われるものばかりである。ところが見ていただきたい。


 そう言うデカルトがもういっぽうの手に持っているのは火です。反対の手に持った蜜蝋に近づけていきます。蜜蝋が溶けます、したたります。デカルトは手が熱くないのでしょうか。いえ、きっと熱いはずです。

私がこう話している間、それを火に近づけると、残っていた味は抜け、香りは消え、色は変わり、形はくずれ、大きさは増し、液体になり、熱くなってほとんど触れられなくなり、もう打っても音を発しなくなる。


 デカルトは黙りこみました。そして俺たちをゆっくり見回します。沈黙が続きます。何を言うんでしょう。どきどきします。


 ようやく彼が口を開きました。

それでもなお同じ蜜蝋が残っているのだろうか?


 当初、デカルトが手に持っていた蜜蝋は、火に溶け、すでに床にしたたり落ちています。最初の姿はもうカゲもカタチもありません。「それでもなお同じ蜜蝋が残っているのだろうか」というわけです。

残っていると認めなければならない。


 そう彼は喝破します。

だれもそれを否定しないし、だれも別のように考えない。では、蜜蝋においてあれほど判明に理解されていたのは何であったか? たしかに私が感覚で捉えたもののいずれでもない。というのも、味覚、嗅覚、視覚、触覚、聴覚の下に感じとられたものはみな、いまや変わってしまったが、蜜蝋は残っているからである。


 では、当初、蜜蝋においてあれほど判明に理解されていたのは何であったとデカルトは言うのでしょうか。

おそらくそれは、いま私が考えているものであったろう。すなわち、蜜蝋そのものは、あの蜜の甘さでも、花の香りでも、あの白さでも、形でも、音でもなく、少し前にはあのような仕方で、だが今は別の仕方で私にまざまざと現れている物体であった。


 あの蜜の甘さでも、花の香りでも、あの白さでも、形でも、音でもない、蜜蝋そのもの? デカルトが想像して言うその蜜蝋そのものとは?

しかし私がこのように想像しているものは、厳密には何であろうか? 注意してみよう。そして蜜蝋には属さないものをそこから取り除けば、


 蜜蝋から、蜜蝋には属さないものを取り除く? 蜜蝋から蜜蝋には属さないものを取り除くと何が残る

何が残るかを見てみよう。すなわち残るのは、延長をもち、柔軟で、変化しやすいあるものだけである。


 蜜蝋から、ほんとうは蜜蝋には属していないものを取り除くと、延長をもち、柔軟で、変化しやすいあるものだけが残り、それこそが蜜蝋そのものであると、デカルトは紙のムコウで言ってのけました。


 いまみなさんと『省察』という著書のなかでデカルトが蜜蝋を用いて、「存在の客観化を実演する場面を(仲良く)一緒に見ました。衝撃が走りませんでしたか? チョウ不思議とお感じになりませんでしたか? みなさん、どうお感じになりました*1? 紙のムコウのデカルトはあざやかな手さばきで、なんと蜜蝋から、容姿を含む)、匂い感触をほんとうは蜜蝋には属していないものとして取り除き、そのあとに残る、「延長をもち柔軟で変化しやすいあるものこそほんとうの蜜蝋であることにしました。


 蜜蝋から、その、容姿(色を含む)、音、匂い、味、感触、を取り除いたあとに残ると彼が言いましたその「延長をもち、柔軟で、変化しやすいあるもの」とは、平たく俺流に言いますと、「どの位置を占めているかということしか問題にならない何か、です(後述します)。


 デカルトは驚くべきことに、俺らがじっと瞳をこらして見守っているなか、華麗な手さばきで、蜜蝋を、「どの位置を占めているか」ということしか問題にならない何かにすり替えてしまったわけです。

つづく


前回(第1回)の記事はこちら。


このシリーズ(全9回)の記事一覧はこちら。

 

*1:2018年10月4日に二重敬語を訂正しました。