(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

身体が遺伝子会長とその子飼いの脳社長に牛耳られる

*身体すり替え事件第4回


 では、科学は、存在を読み替え、さらには存在同士の関係をも別ものにすり替え、その結果、身体をどのようなものとするのでしょうか。


 ここではざっくり結論だけを申し述べます。


 科学は存在を読み替えることで、みなさんの身体が、とびらや、壁、床、部屋明かりなどと、互いに、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに答え合うことはないとし、みなさんの身体を、みなさんの身体のなかの一箇所によってコントロールされる組織とします


 科学は現在、身体を、遺伝子とその子飼いの脳といった上層部にコントロールされるトップダウン式の組織と説明しています。いっぽう、遺伝子と脳によるその組織支配が、ウィルス、細菌、ガンなどによって妨害されるのを病気としています。科学はまさにそれらウィルス、細菌、ガンなどを敵と見ています(医学がウィルスや細菌やガンを敵と言うのは擬人化ではありません)。科学は身体に起こる出来事についてはこのように遺伝子や、脳、ウィルス、細菌、ガンといった一箇所(一点といったほうが良いでしょうか)のせいにし、当の一箇所にさえ配慮していれば、身体にどんな出来事が起こるのか予想できるとします。


 しかし物理学や化学をしているときには科学は決して、こんなふうに出来事を一箇所のせいにすることはありません。たしかに物理学や化学をしているときにも存在の読み替えをし、存在同士の関係を別ものにすり替えはしますけれども、どのような出来事が起こるかは、一箇所が決めるのではなく、当の出来事にかかわる複数の存在同士のあいだに働く力関係で決まるとします(力学を念頭に置いていただくと良いかと存じます)。つまり、どんな出来事が起こるかを予想するには複数の存在にできるかぎり配慮する必要があるとします。一箇所にだけ配慮していれば出来事を把握できるとは絶対にしません。


 なぜでしょうか。


 みなさんがとびらに歩み寄る例を使って、とびらが、みなさんの身体や、壁、床、部屋の明かりなどと、互いに、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに一瞬ごとに答え合うのを先に確認しました。言ってみれば、出来事とはそのように、複数の存在たちが、共に為すものです。出来事を把握するには、それら複数の存在たちに配慮する必要があります。


 出来事を、当の出来事にかかわる複数の存在同士のあいだに働く力関係によって決まるものとし、出来事を把握するにはそれら複数の存在たちに配慮する必要があるとする物理学や化学の見方は、存在の読み替えをし、さらには関係を別ものにすり替えても依然、出来事を複数の存在たちが「共に為すもの」と見る必要があると示唆しているのではないでしょうか。


 果たして、身体に起こる出来事を一箇所のせいにすることは適切なのでしょうか。出来事を一箇所のせいにする見方で、ほんとうに身体の現実についていけるのでしょうか。俺には疑問だらけです。

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 以上が、ポテチをつまんだり寝っコロがったりフテ寝したりしながら調査をつづけてきた俺からの報告です。科学は存在を読み替え、関係を別ものにすり替えます。そして、物理学や化学をしているときには決してしないのに、身体についてだけは出来事を一箇所のせいにし、身体をつぎのように別ものにすり替えます。「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに、とびらや、壁、床、部屋の明かりといった他の存在たちと一瞬ごとに答え合うものから、遺伝子会長とその子飼いの脳代表取締役によって支配される組織(病気の場合はウィルス、細菌、ガンといった敵によって組織支配が妨害される)へと。


 これはのっとり事件ではないでしょうか。


 ボスはどう思われます?

(了)


2018年8月17日と2019年9月3日に文章を一部修正しました。


前回(第3回)の記事はこちら。


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