(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

ガン治療は成績向上も最初から約束されていて楽ちん

*ガンを原因と思っていればなんでもできる???第5回


 最後ここに、成績向上、もつけ加えておきます。


 出来事を一箇所のせいにできるのであれば、治療成績を向上させるのも非常に楽ちんです。ガンをとり除くための臓器摘出手術あるいは抗ガン剤治療をうけると、ひとは苦しみます。もともと苦しんでいるひとたちにこうした治療をすると、容易に想像できることですけれども、余計に苦しみ、場合によっては死んでしまうかもしれません。しかしこれは裏を返せば、臓器摘出手術や抗ガン剤治療を、苦しんでいるひとよりも、元気なひと相手により多くやっていけば、おのずと治療後の生存率(治療成績)はよくなっていくということを意味します。仮にその治療が的はずれなものであっても、です。出来事を一箇所のせいにする治療では、治療成績向上はこのように初めからほぼ約束されたも同然です。早期発見・早期治療(当の一箇所を早く見つけ、早くとり除く)を推進しさえすれば治療成績は必ず向上します。治療が適切なものなのかどうかも反省する必要がありません。


 以上、ガンに関し、出来事を一箇所のせいにする見方をとることの魅力について見てきました。その魅力とは、いろんなことが楽ちんになることでした。出来事を捉えるには、辺り一帯にできるかぎりひろく配慮する状況把握が必要ですけれども、出来事を一箇所のせいにする見方をとると、一箇所にだけ配慮していればいいことになります。その一箇所以外の部分については配慮が不要になります。すると、未来予想も、治療も、予防も、治療成績向上も、非常に楽にできると思えるようになるということを確認しました。これをもちまして、最初に書いておきましたように、ガンについての先日の考察*1のまとめとさせていただきます。


 ガンついて、苦しんでいるひとを「癒す」ことを目的とした、身体のなか全体にできるかぎり配慮しようとする治療を志す科学者もいるようですけれども、彼らのやっていることは無条件に(つまり内容を検討することなしに)民間療法と呼ばれ、低く見られているようです。一箇所にしか配慮しない治療のほうが科学的であって(正しく)、苦しんでいるひとを「癒す」ために状況把握に努めようとしているほうが、蔑まれているというのはとても不思議なことのように思われますが、みなさんはいかがお思いになりますでしょうか*2

つづく


前回(第4回)の記事はこちら。


このシリーズ(全6回)の記事一覧はこちら。

 

*1:記事「『患者よ、がんと闘うな』の近藤誠さん」

*2:二重敬語を訂正しました。2018年9月8日