(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

まとめ

*『患者よ、がんと闘うな』の近藤誠さん第8回


 以上、科学のガン論とガン治療法にたいし、近藤さんがお示しになっている疑念について、オロカモノなりに考察してきた。その考察をとおしてオロカモノの俺が学んだのは、生物を扱うようになると科学は一転、「状況把握」に努めるのをやめ、出来事を一箇所のせいにするようになるということだった。「状況把握」に努めているときのように四方八方に気を配らなくても、一箇所に配慮するだけでどんな出来事が起こってくるか、予想できると科学は考えるようになるということだった。ガンという一箇所だけにしか配慮しなくても、ガンさえあれば必ずどんな場合でも「苦と死という出来事」が近いうちに起こってくると未来予想できるかどうかを見極めるには事実観察をする必要があるが、科学はそれをやっていないということだった。


 また科学のガン治療について以下のことも学んだ。科学は出来事を一箇所のせいにすると、その一箇所さえとり除けばいいと考えるようになる。しかし、「癒し」を目的とする治療をするには「状況把握」に努めなければならない。科学の、一箇所にしか配慮しない治療、すなわちその一箇所以外の部分で何が起こるかには配慮しない治療は、「癒し」を目的としているのではなく、また「反・癒し」を実現していても、ガンという一箇所にしか配慮していないため、そのことにすら気づかないということだった。


 出来事を一箇所のせいにすることはできない。したがって、科学が大絶賛している、ガンという一箇所をとり除く治療に何を期待できるのか、といった疑問も出てくることになるが、その疑問については触れなかった。時間があれば、また別のところで、この疑問について俺のオロカな意見を申し述べることになるかもしれないし、申し述べることにならないかもしれない。


 ともあれ、みなさんと一緒にすごしたひとときにspecial thanksしつつ、また会う日までしばしのお別れを申し上げる。

患者よ、がんと闘うな (文春文庫)

患者よ、がんと闘うな (文春文庫)

 
がん検診の大罪 (新潮選書)

がん検診の大罪 (新潮選書)

 
(了)


前回(第7回)の記事はこちら。


このシリーズ(全8回)の記事一覧はこちら。