(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

癒しを目的とする治療とは

*『患者よ、がんと闘うな』の近藤誠さん第6回


 ここでもふたたび、出来事を一箇所のせいにする見方からふりかえろう。これまで繰り返し申し上げてきたように、物理学では、出来事を一箇所のせいにはしない。ビリヤード台のうえでどんな出来事が起こるかを的確に把握(予想)するには、9番ボール、白球、台表面、台のふち、台の下の床、空調、など、できるだけいろんな存在に配慮する必要があるとする。すなわち、「状況把握」に努めなければならないとする。


 しかし「状況把握」が必要なのは、ひとの身体に起こる出来事を把握(予想)する場合も同じだろう。病気なる出来事を把握するさいにも、身体のなかのいろんな存在にできるかぎり配慮すべきだろう。


 そして、治療をするときにも「状況把握」に努めて、できるかぎり身体のなかのいろんな存在に配慮し、施術によって身体全体(あくまで理想だが)がどうなればいいか、目標を立てるべきだろう。


 では、そのように「状況把握」に努めながらする治療というものをじっさいにここでみなさんにお考えいただこう。いまから、ごくごく簡単で当たり前だが、この世で一番目か二番目くらいに大事なことを、みなさんにご確認いただこう。


 縁起でもないが、みなさんが、具合悪くおなりになったと仮定する(変なたとえをしてまことに申し訳ないかぎりである)。いま、みなさんが、具合悪くおなりになったと仮定したけれども、その具合が悪いとは、苦しいという意味である。身体がだるいとか、ふらふらするとか、吐き気がする、震える、寒気がする、痛い、など、何かご自分が苦しんでおられる状態を想像して考え進めていただきたい。


 さて、その仮定のなかで苦しんでおられるみなさんは、何をもっともお望みになっておいでだろうか。


 苦しみが軽減すること、あわよくば、快くなること(具合良くなること)、ではないだろうか。


 そのために、仮定のなかのみなさんが治療をうけようとお考えになっておられるものとすれば、そのみなさんのご要望にお答えする治療というのは、それをうけると苦しさが軽減し、あわよくば快くなることを目的とするものでなければならないということになる。


 その治療をきっとみなさんは、こういうものとお考えになるだろう。


 すなわち、みなさんは、日々、具合良く(快く)生活しておいでだったときのご自分をご想像になる。あるいは、かつて、具合良く生活していた時期をおもちでないかたは、かわりに、日々、具合良く生活しておられる誰かほかのひとをご想像になる。で、その、具合良く生活しておられたかつてのご自分、または具合良く生活しておいでの特定の誰かの身体のなかのありようを、お手本におすえになる。


 そしてその「お手本」と、現状のみなさんの身体のなかのありようとをお比べになる。


 仮定のなかのみなさんは、具合がお悪い。したがって、みなさんの現状把握によると、現在のご自身の身体のありようは、かつて具合良く生活しておられた頃のご自身(または特定の誰か。以下略)の身体のなかのありよう(「お手本」)から、かけ離れてしまっているということになる。


 そこでみなさんはこう結論づけられる。苦しみが軽減し、あわよくば具合良く生活できるようになるためには、現在のご自分の身体のなかのありようが、かつて具合良く生活しておられた頃のその身体のなかのありよう(「お手本」)に、近づいていけばいいのにちがいない、と。そして、ご自分の身体のなかのありようが、かつて具合良く生活していた頃の身体のありよう(「お手本」)に十分近づききったあかつきには、自分は快く日々生活できるようになっているはずだといった青写真を、みなさんはお持ちになるというわけである。


 復習しよう。


 仮定のなかのみなさんが所望しておられる治療とは、それをうけると、身体のなかのありようが、かつて具合良く生活しておられたときの身体のなかのありよう(お手本)に近づいていくことになるものである。仮定のなかのみなさんがいままっとうにお考えになったこの治療を、とてもダサイが、お手本接近法という名で呼ぶことにする。


 では、この「お手本接近法」とは何を目的とするものなのか。それは、苦しさが軽減し、あわよくば、具合良く(生活できるように)なることを目的とするものである。苦しみが軽減し、あわよくば具合良くなるこのことについては、癒し、と名付けることにする。


 ようするに、いまみなさんは、「癒し」というこの目的を達成するためのより具体的な目安として、いまのご自分の身体のなかのありようが、かつて具合良く生活していた頃のご自身の身体のなかのありよう(お手本)へ近づいていくという図をお描きになったということである。この「お手本接近法」こそ、身体のなか全体に、できるかぎり配慮しようとする、「状況把握」にもとづいた治療のかたちなのではないだろうか。

つづく


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