(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

なぜ物理学では想定しない原因を生きものについては想定するのか

*原因をさがし求めて第9回


 原因さえ先に特定しておけば、解明がちっとも進まなくても、原因部分だけ気にしていればいいことになる。そこさえとり除けばいいと考えて治療もできる(治療法として成立しているかどうかについてはここでは触れない)。がん細胞が苦しみと死の原因だということであれば、がんができるメカニズムの解明がまったく進まないあいだでも、がん細胞だけを考えていればいい。がん細胞をとり除くためにごっそり臓器ごと摘出すればいいし、何なら抗がん剤でがん細胞を縮小させることだけを考えて全力を尽くしていればいい(この全力とは患者の全力のことである)。ウィルスが原因だというのであれば、ウィルスが病気を発症させるメカニズムがまったく不明でも、ウィルスのことだけを考えていればいい。副作用が強い薬をつかってでも、ウィルスを身体のなかから除き去りさえすればいいと方針も決まる。てんかんの原因が脳の一部分にあるというのなら、脳内メカニズムをまだ誰も解明していなくても、脳のなかの問題箇所をとり除けばいいということになる。


 はたして、生物に関してのみ、出来事を一箇所のせいにしたがるのは、そういうことなのだろうか。


 しかし原因が存在しないのならどうなるのだろう。一箇所のせいにできるという前提があってこそ、臓器丸ごと原因部分をとり除くという、苦しみのともなった治療法も成り立つわけである。が、もし病気を一箇所のせいにできないとしたら、つまり原因など存在しないのだとしたら、治療は一箇所をとり除くことに血道をあげるそのやり方でいいのだろうか。誰かこのことを考えてみたひとはいないのだろうか(哲学研究者の故・木田元さんが、『反哲学入門』などでハイデガーを語っている。それによるとハイデガーは因果関係批判をしていたらしい)。

反哲学入門 (新潮文庫)

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 1950年代に分子生物学が台頭し、遺伝子をもとに身体のなかでアミノ酸からタンパク質がどのようにつくりあげられるのか、解き明かされたといわれる。分子生物学のその功績をもって、科学は物理学的手法を生物に関する研究へ導入するのに成功したと見なすらしいが、ほんとうにそういう見方でいいのだろうか。


 物理学は出来事を一箇所(原因部分)のせいにはしない。ボールひとつのゆくえを計算するにも、そのボールにかかる複数の力を考慮する。ところが科学は生物研究の分野ではまだ原因の存在を前提にしている。科学が生物を研究する分野に物理学手法を導入しえたとほんとうにいえるようになるのは、一箇所のせいにするそうした説明の仕方を克服したときではないのだろうか。


 だが、医学が原因の存在を前提にしなくなることはないだろう。身体のなかの分子メカニズムの解明を待ってからでないと治療できないなどということを許すわけはないだろう。存在しない原因をこれからも特定していくことになるだろう。が、急にクダラナイことをベラベラと書きすぎた。


 ひとまずここまでを振りかえる。


 原因特定法をふたつみた。ひとつ目の特定法は原因特定法と呼べるようなシロモノではなかった。おそらく、がんを、苦しみと死を生じさせる原因と特定したときにつかった方法はコレなのだろうけれども。この方法は、前提にしてるものが怪しく、冤罪を生む可能性もあり、しかもその冤罪を隠蔽する手口すら隠しもっていた。


 ふたつ目の原因特定法は、対照グループをつかう原因確認法だった。原因という一箇所が存在すると信じるのなら、原因を特定するときは少なくともこちらの原因確認法をつかうべきだろう(じっさいこんにちの科学者はそうしてるだろう)。ただこの方法でも、原因丸々ひとつは突きとめきれない。


 おや、こんな時間に誰か来たようだ。すぐ戻ってくる。

(了)


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