(新)Nothing happens to me.

科学はボタンをかけ違えたまま来たのではないでしょうか。

なぜ原因丸々ひとつは見つからないのか

原因をさがし求めて第8回

 はじめにみた原因特定法は、原因を満足に特定できるシロモノではなかった。そして、ふたつ目の原因確認法では、原因の一部分がこのように突きとめきれないまま必ず残る。


 以上から言えるのは、しっかりした原因特定法(二つ目の特定法)を選んで頑張ってみても、原因丸々ひとつは突きとめられないということである(試行錯誤のすえ、今のところ私はそう考えているが、愚かな私のことである、どんなマズイまちがいをしでかしているかわかったものではない)。


 しかしなぜ原因丸々ひとつを突きとめきれないのか


 それは、原因など存在しないということなのではないだろうか。存在しないものを見つけようとしているがために、見つけられないということなのではないだろうか。


 病気の原因とは、その病気を生じさせる一箇所のことである。事故の原因と言えば、その事故を生じさせた一箇所のことである。がん細胞を生じさせる原因を特定しようとするとは、がん細胞ができるという出来事を、一箇所(これが原因と呼ばれる)のせいにしようとすることである。だが、病気や事故といった出来事をそんなふうにたった一箇所にせいにすることはできないのではないか。一箇所のせいにできないために、原因特定法をつかってそんな一箇所を探してみても探し出せないのではないか。


 たしかにこれは私の考えにすぎない。こんなことを他の誰かが言っているのを、私も聞いたことがない。そのうえ私は愚かときている。


 ところが私はあることにふと気づいた。数年まえの猛暑の昼間のことである。世の中のひとたちにはツマラナイし無価値だと思われるだろう、ここに書いているような事柄を、ひとの命にかかわる重大問題だと信じ、真剣にそのときも毎日、朝から晩まで考え続けていた私は、いま以上に金もなく、いまのようにひとりぼっちで、うつむきながら路頭をさまよってた。すると足下にサッカーボールが転がってきた。ボールは私に近づいてくるほど勢いがなくなり、ボールを止めようとする私の足下におとなしくおさまった。そのとき閃いたのである。物理学化学を含むでは原因などという一箇所が存在するとは考えていないのではないかと。


 どのような出来事を説明するにも、物理学はたった一箇所のせいにすることはない(と無知など素人である私は思うのだが、真相はどうか)。ボールが私のところまで転がってきたその出来事を説明するときに、物理学はボールに加えられた力を複数かんがえる。蹴ろうとした子供から足で加えられた力、地面から上向きにボールに加わる垂直抗力、下向きに地球から引っぱられる重力、地面とボールのあいだの摩擦力、ゴールポストにあたったときにポストから加わった反発力(反発力であっているのか?)など。ボールが転がってきたこの出来事を、何か一箇所のせい(ひとつの力のせい)にして説明できるようなものではないのを物理学はよく知ってる。


 ところが科学は生きものを扱う段になると急に一箇所のせいにするようになる。遺伝子のせい、脳のせい、脳のなかの物質のせい、がん細胞のせい、ウィルスのせい、細菌のせい。


 なぜだろう。


 身体のなかは小宇宙である。そんな広大で複雑な身体のなかを舞台とする出来事を考えるのに、いまボールにかかってくる力を複数想定したような方式でやっていたのでは日が暮れる。何十年かかるかしれないそうしたメカニズムの解明を待ってはいられない(いや、そもそも解明できるのかどうかすら怪しい)。そこで、まずてっとり早く一箇所のせいにしておいて、詳しいことはあとでゆっくりつめていけばいいということにする。

つづく


前回の記事はこちら。

whatisgoing-on.hateblo.jp


このシリーズの記事一覧はこちら。

whatisgoing-on.hateblo.jp