(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

カワグチ第1弾と第2弾

 病気や事故といった出来事には原因があると考え、出来事を一箇所(原因部分のこと)のせいにするというのは、非常に特徴的なものの見方だと思われます。出来事をそのように一箇所のせいにできるのであれば、出来事の責任もその一箇所にあると言えるし、その一箇所をとり除けば治療にもなると自動的に考えられることになって、非常に便利だということなのかもしれません。原因があると想定することはおそらく、思考の経済(考える手間を省くこと)なのでしょう。


 出来事をそのように一箇所のせいにできると信じられればこそ、実験室というものをつくって、その密閉空間のなかで、薬や治療法をケンキュウすることもまた、できるのでしょう。


 が、論理的に考えるかぎり、出来事を一箇所のせいにすることはやはりできないと言わざるをえないのではないでしょうか。 一箇所のせいにすることをかつて物理学は一度でも私たちに許したことがあるでしょうか。物理学が出来事を一箇所のせいにしているのを私は一度も見たことがありませんけれども(物理学について完全ド素人である私がこんなことを言う資格はまったくないのに、こんなことを言うなんてとても恥ずかしい限りです)、みなさんはいかがですか。事故にしろ病気にしろ、出来事というものは一箇所のせいにして説明のつくものではないと、むしろ私は物理学から示唆されているような気がしています。果してこれは、愚かな私の、いつもの愚かな思いちがいのひとつなのでしょうか、どうでしょうか。


 物理学という分野では出来事を一箇所のせいにすることはないが、生きものを説明する段になると科学は急に一箇所のせいにするようになる、と私には見えます。遺伝子のせい、がん細胞のせい、ウィルスのせい、細菌のせい、花粉のせい、タバコ成分のせい云々。そしてまた、去年の秋、引き出しにしまった夏服のように、原因というのは、探せばかならず見つかるものと信じこんでいるひとも多いように思われます。けれどもじっさいのところ、原因の特定は難事業なのではないでしょうか。


 今回、出来事を一箇所のせいにする方法(原因特定法)と愚かな私が思うものをとりあげ、じつはそうした方法をつかっても、原因丸々ひとつを特定するのは不可能であること、つまり出来事を一箇所のせいにはできないのだということを、愚か者なりに私は確かめようとしました*1


 病気Xのひとたちを集めてきて、そのひとたちだけに見つかる部分を探し出せば、病気Xの原因は見つかると、つい私たちはあまりにも簡単に考えがちです。どうしたわけか、私たちは、「病気Xには一生ならないひと」の身体のなかには、病気Xを生じさせる原因の一部分すらないと、そのように都合よく決めつけたがります*2


 ところが、電子みたいな不分割のものとして原因を想定しているのでないかぎり、原因には部分があることになります。「病気Xに一生ならないひと」の身体のなかにも、病気Xの原因の一部分くらいならあってもまったくおかしくありません。したがって、しっかり反省してみると、病気Xのひとたちだけに共通して見つかる部分をかりに探し出せたとしても、それをもって、病気Xの原因丸々ひとつとすることはできなくなります。原因にはまだ特定され残している部分があることになります。しかも、私たちが考察したところでは、この一部分を説明にもちだしたほうが、出来事はよりうまく理解できるようになりました*3


 ですが*4、いざこの残り部分を突きとめようとすると、どんなに頑張ってみても、つねに一部分が突きとめきれないまま残るということでした。原因特定法を駆使し、原因丸々ひとつを特定しようしても、このようにつねに原因の一部分が突きとめきれないまま残るということ、すなわち、出来事を一箇所のせいにすることはできないというこのことを、愚か者なりに私はカワグチ・サチジ冒険隊の一員として確認した(つもりになっている)のでした。


 しかし、単に出来事を一箇所のせいにすることはできないとだけ言えばよかったかのもしれません。原因特定法などをわざわざ持ちだす必要は果してあったのでしょうか。そんなものについて考察するのはもはや時間の無駄ですし、ややこしい話が出てきて余計に頭がこんがらがるだけではないでしょうか。それに何を指摘したところで、どうにでも言い抜けて、原因部分を正しく特定したことにするのは可能でしょう。けれども、あえて、原因特定法と思われるものを持ちだしました。


 原因特定法についてもう少し、確認しておきたいことがあります。次回から、カワグチ・サチジ・シリーズ第二弾をお送りする予定です。シクヨロお願いします。

(了)


カワグチ第1弾


カワグチ第2弾

 

*1:2018年8月20日に、つぎの一文の冒頭で改行しました。

*2:2018年8月20日に、つぎの一文の冒頭で改行しました。

*3:2018年8月20日に、つぎの一文の冒頭で改行しました。

*4:接続詞を一語、修正しました。2018年8月20日