(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

寺田による科学への異議申し立て

寺田寅彦、存在の読み替えについて第1回


 科学というと、事実を事実に忠実に把握する学と思われがちであるが、それはむしろひとつの思想である。ひとつの独特な世界観を作りあげる営みである。物理学者の寺田寅彦1878年-1935年)は生前、科学が作りあげているその世界観にたいして異議を申し立てていた。科学の根底を彼は真摯に問いなおしていたのである。


 先日(2015年3月21日)、共同通信が寺田のある書簡について報じている。高知県立文学館が、物理学者の石原純に宛てた寺田の書簡を発見していたことが同文学館への取材から判明したとのことだった。記事によると、「『人間の感覚を無視するよう』に展開する当時の理論的な物理学の限界や矛盾を指摘した内容で、同館の永橋禎子学芸員は『寅彦の思考の過程が分かり興味深い』と話している」。


 この件については、同月24日付けの高知新聞の記事がより詳しい。こちらの記事は、寺田の後輩で当時、東北帝国大学の物理学教授をしていた石原宛の封書一通を高知県立文学館が購入していたことがわかったと書いている。その記事には更にこうある。

 当時の物理学が、人間の五感から離れて〈感覚を無視〉している傾向にあることを〔引用者注:寺田は〕指摘。能力の限界近くまで研究が進んでいると学者が錯覚し、〈穴さへ繕へば最早それで凡(すべ)てが終る様な楽観的の気分〉でいるとの思い上がりに警鐘を鳴らす。


 また将来の物理学が〈生物界の現象に迄(まで)切り込んで行く〉と推測。心理学などさまざまな学問と融合し、〈一つの理学といふ大体系〉に合体されていくことを望んでいると記す。


 さらに、そうしたことを考える自身について、〈最早物理学生としての私ではないもつと自由な『私』だと思つて頂きたいのであります〉と伸びやかな言葉でつづっている。  寅彦は手紙を投かん後の1917年11月、人間不在の物理学に異議を唱えた随筆「物理学と感覚」を発表。その数ヶ月前には随筆と同内容の講演を高知第一中学(現追手前高)で行った記録が残る。


 感覚を無視し「人間不在」となった物理学にたいして寺田が申し立てた異議とはどのようなものだったのか、それをこのエントリでは追っていく。彼の異議申し立てを理解することを通して、科学が作りあげている世界観を把握するのがねらいである。

つづく


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