身体機械論
*科学するほど人間理解から遠ざかる第12回 快さを感じているというのは、「今どうしようとするか、かなりはっきりしている」ということであり、かたや苦しさを感じているというのは、「今どうしようとするか、あまりはっきりしていない」ということであると…
*科学するほど人間理解から遠ざかる第11回 快さを感じているというのは、「今どうしようとするか、かなりはっきりしている」ということであり、かたや苦しさを感じているというのは、「今どうしようとするか、あまりはっきりしていない」ということであると…
*科学するほど人間理解から遠ざかる第10回 快さを感じているというのは、「今どうしようとするか、かなりはっきりしている」ということであり、かたや苦しさを感じているというのは、「今どうしようとするか、あまりはっきりしていない」ということである*1…
*科学するほど人間理解から遠ざかる第9回 快さを感じているというのは、「今どうしようとするか、かなりはっきりしている」ということであるいっぽう、苦しさを感じているというのは、「今どうしようとするか、あまりはっきりしていない」ということである…
*科学するほど人間理解から遠ざかる第8回 快さを感じているというのは、「今どうしようとするか、かなりはっきりしている」ということであり、かたや苦しさを感じているというのは、「今どうしようとするか、あまりはっきりしていない」ということである*1…
*心はいかにして科学から生まれたか第6回 現代科学は、私を心なるもののこととしたこのところから、さらに一歩進める。ながらく非物質と考えてきたこの心なるものを、脳の物質的活動であることに変更し(心脳同一説)、私とは脳(の物質的活動)のことであ…
*心はいかにして科学から生まれたか第5回 「絵の存在否定」という不適切な操作をみずからの出発点に置く科学は、いまこの瞬間、私が目の当たりにしている松の木の姿を、私の前方数十メートルのところにあるのではないことにする。そこには、見ることも触れ…
*心はいかにして科学から生まれたか第4回 科学は、「ひとつの世界絵に共に参加している」もの同士を、それぞれがそのとき在る場所に在るのは認めるものの、事実に反して、「ひとつの絵に共に参加している」ことはないもの同士であることにし*1、一転、世界…
*心はいかにして科学から生まれたか第3回 この世界絵のうちには、定義上とうぜんであるけれども、いまこの一瞬に私が体験しているものすべてが認められる*1。その瞬間に目の当たりにしている景色、聞いている音、嗅いでいる匂い、味わっている味、感じてい…
*心はいかにして科学から生まれたか第2回 科学が、「絵の存在否定」という不適切な操作をみずからの出発点とした結果、ありもしない心という存在を想定することになった顛末を、これから見ていく。 最初に身体について再確認し、そのあと「絵の存在否定」…
*心はいかにして科学から生まれたか第1回 「科学の身体研究からすっぽりぬけ落ちている大事なもの」と題した文章のchapter 1で、身体が機械ではないこと、およびそのことをみなさんどなたも実によくご存じであることを確認した。そしてそのchapter2では、…
*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第12回 「絵の存在否定」という不適切な操作を為した科学が、「身体の感覚部分」を、俺の心のなかにある、見ることも触れることもできない「ほんとうの身体の物的部分」についての情報であることにし(身体知覚論)、…
*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第11回 いまこういうことを確認しました。 眼球から脳に至る神経経路に起こる電気的興奮の連鎖は、俺の眼前数十メートルの場所に実在する「ほんとうの松の木」についての情報を眼球から脳に伝達しているのではありま…
*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第10回 俺が松の木の姿を目の当たりにしているとき、俺の前方数十メートルの場所に実在している、見ることも触れることもできない「ほんとうの松の木」から、「ほんとうの松の木」についての情報が、神経、脳をへて、…
*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第9回 科学が事のはじめに「絵の存在否定」という不適切な操作を為し、俺が目の当たりにしている松の木の姿を、俺の前方数十メートルのところにあるものではなく、俺の心のなかにある、見ることも触れることもできな…
*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第8回 科学が「絵の存在否定」という不適切な操作の結果、俺が目の当たりにしている松の木の姿を、俺の心のなかにある、見ることも触れることもできない「ほんとうの松の木」についての情報とし(外界知覚論)、 か…
*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第7回 科学が事のはじめに「絵の存在否定」という不適切な操作を為して、俺が目の当たりにしている松の木の姿を、俺の前方数十メートルの場所にあるものではなく、俺の心のなかにある映像であることし、俺の前方数十…
*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第6回 さて、科学が事のはじめに「絵の存在否定」という不適切な操作を為し、その結果、いまこの瞬間に俺が目の当たりにしている松の木の姿を、俺の前方数十メートルの場所にあるものではなく、俺の心のなかにある、…
*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第5回 で、科学はつぎのような視覚論を語ります。 俺の前方数十メートルの場所に実在する、見ることも触れることもできない「ほんとうの松の木」に当たった光が、その「ほんとうの松の木」についての情報を俺の眼球…
*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第4回 いまこの瞬間、俺が松の木を目の当たりにしていることにしてください。そうしていただきますと先にも申しましたが、その瞬間に俺が目の当たりにしている松の木の姿と、その瞬間の俺の「身体の感覚部分」とは、…
*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第3回 科学が「身体の物的部分」を機械と考えるに至る事の発端は、離れた場所にあるもの同士のあいだにも認められる「ひとつの絵に共に参加している」という直接の関係を、この世界から一掃することにあると最初に申…
*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第2回 科学が「身体の物的部分」を機械と考えるに至る事の発端は、離れた場所にあるもの同士のあいだにも認められる「ひとつの絵に共に参加している」という直接の関係*1を、この世界から一掃することにあると先走っ…
*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第1回*1 ここまで*2、主につぎの2点を確認してきました。 「身体の物的部分」で、物質的出来事が、「身体の感覚部分」の関与のもと起こること(「身体の物的部分」は機械ではないこと) そのことをみなさん実によく…
やあ、ホースム、まいったよ、外はひどい寒さだ。どうした、何か考えごとか? 「ワトソソ、これを読んで見たまえ」 ああ、「病は気から」か。よくある記事だ。昔から、思い出したようにときどき、誰かがこんなことを書くんだ。で、これがどうしたんだ? 「思…
*baseballは科学を批判しつづける第13回 みなさんには、大谷選手の身体だけではなく、ご自身の身体についてもお考えいただいた。部屋の片隅に置いてある机に着いておられたところから、立ち上がられてお振り返りになり、部屋のひとつっきりしかない扉に向け…
*baseballは科学を批判しつづける第12回 マウンドから大谷選手がボールを投げる姿を、テレビのプロ野球ライブ中継でご覧になる場面をみなさんにはご想像いただいている。その場面でみなさんは、マウンドからボールを投げるとき(だけにはほんとうは限らない…
*baseballは科学を批判しつづける第11回 みなさんには大変お世話になっている。マウンドからボールを投げるとき、大谷選手の「身体の物的部分」、大谷選手の「身体の感覚部分」、大谷選手が目の当たりにする景色や聞く音、大谷選手自身の過去体験記憶や未来…
*baseballは科学を批判しつづける第10回 科学は、「身体の物的部分」で物質的出来事が起こるのに関与するのは、「身体の物的部分」のうちの物質だけであるとし(「身体の物的部分」を機械とし)、「身体の物的部分」に起こる物質的出来事を、「身体の物的部…
*baseballは科学を批判しつづける第9回 マウンドからボールを投げるとき、大谷選手の「身体の物的部分」、大谷選手の「身体の感覚部分」、大谷選手の目の当たりにする景色や聞く音、大谷選手自身の過去体験記憶や未来体験予想などが、「応答し合いながら共…
*baseballは科学を批判しつづける第8回 大谷選手がマウンドからボールを投げるというのがどういうことか、より明確になった。こう申し上げた。マウンドからボールを投げるとき、大谷選手の「身体の物的部分」、大谷選手の「身体の感覚部分」、大谷選手が目…