(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

2017-02-01から1ヶ月間の記事一覧

身体を機械と考えるのは不適切である

*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第12回 「絵の存在否定」という不適切な操作を為した科学が、「身体の感覚部分」を、俺の心のなかにある、見ることも触れることもできない「ほんとうの身体の物的部分」についての情報であることにし(身体知覚論)、…

科学は存在を別ものにすり替える

*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第11回 いまこういうことを確認しました。 眼球から脳に至る神経経路に起こる電気的興奮の連鎖は、俺の眼前数十メートルの場所に実在する「ほんとうの松の木」についての情報を眼球から脳に伝達しているのではありま…

神経経路は情報伝達などしない。では何を?

*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第10回 俺が松の木の姿を目の当たりにしているとき、俺の前方数十メートルの場所に実在している、見ることも触れることもできない「ほんとうの松の木」から、「ほんとうの松の木」についての情報が、神経、脳をへて、…

身体情報伝達論

*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第9回 科学が事のはじめに「絵の存在否定」という不適切な操作を為し、俺が目の当たりにしている松の木の姿を、俺の前方数十メートルのところにあるものではなく、俺の心のなかにある、見ることも触れることもできな…

視覚情報伝達論

*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第8回 科学が「絵の存在否定」という不適切な操作の結果、俺が目の当たりにしている松の木の姿を、俺の心のなかにある、見ることも触れることもできない「ほんとうの松の木」についての情報とし(外界知覚論)、 か…

科学は身体感覚を、心のなかにある、身体についての情報とする

*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第7回 科学が事のはじめに「絵の存在否定」という不適切な操作を為して、俺が目の当たりにしている松の木の姿を、俺の前方数十メートルの場所にあるものではなく、俺の心のなかにある映像であることし、俺の前方数十…

俺が体験する一切を科学は俺の心のなかにある外界情報とする

*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第6回 さて、科学が事のはじめに「絵の存在否定」という不適切な操作を為し、その結果、いまこの瞬間に俺が目の当たりにしている松の木の姿を、俺の前方数十メートルの場所にあるものではなく、俺の心のなかにある、…