(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

2016-08-01から1ヶ月間の記事一覧

医療処置は快さや苦しさを考えてするものか、正常異常を考えてするものか

*治療の苦しみに耐えれば耐えるほど失敗に近づく第3回 こういうことを確認しました。 息がしにくいという状態から、息がしやすいという状態になることを目的とする医療処置を受け、実際に息がしやすくはなるものの、息がしにくいというのとは別のあらたな…

治療目的はほんとうにそれでいいのか、それで大損することはないか

*治療の苦しみに耐えれば耐えるほど失敗に近づく第2回 たとえば、みなさん、ご自分の息がしにくくなるものと仮定してみてください。そして、そのときにみなさんが医療処置を受けようとお考えになるなら、何を目的とするものをお求めになるか、ちょっと想像…

科学の目には映らなくなるこの世でもっとも大事なもの

*治療の苦しみに耐えれば耐えるほど失敗に近づく第1回 先日「科学は存在同士のつながりを切断してから考える*1」と題した文章を書きました。そこで書きましたのは簡単に申しますと、こういうことでした。科学は事のはじめに、存在同士のつながりを切断しま…

あたらしい知覚論をお土産に帰宅するまでが旅の途中

*あたらしい知覚論をください第8回 あらたな嗅覚論についてはこう言える。 他人の部屋に入ると、匂いがすることがあるけれども、しばらく時間が経つと、大抵そうした匂いはしなくなる。これについては匂いが隠れるという言いかたをすることもできるが(何…

あたらしい聴覚論も記念にひっつかまえよう

*あたらしい知覚論をください第7回 俺が追い求めているあらたな、聴覚論と嗅覚論についても以下見ておく。 楽器を使って出す音(あくまで聞こえる音のことを言っている)は、楽器によってはもちろんのこと、演奏するひとの身体のありよう、場所、聞き手の…

にぎり飯のことなんてすっかり忘れ、あたらしい視覚論をとっつかまえるのに夢中になろう

*あたらしい知覚論をください第6回 俺が歩み寄るにつれ、松の木は、刻一刻と姿を大きくし、かつ木目をくっきりさせていく。太陽が雲に隠れれば薄暗い姿を呈するし、雲間から太陽が顔を出せば一転、明るい姿を呈しもする。また俺が道のくぼみに足を踏み入れ…

にぎり飯はほっぼり出して、あたらしい視覚論を追おう

*あたらしい知覚論をください第5回 松の木に歩み寄る例を用いて、あらたな視覚論から探ってみる。 俺が歩み寄ると、松の木の姿は刻一刻と大きくなり、かつその木目も一瞬ごとにくっきりしてくる。このように松の木は、「他のものと共に在るにあたってどの…

いざ、にぎり飯を口に運ぼうとするそのとき、手がとまるほどの激震が走る

*あたらしい知覚論をください第4回 科学は松の木や蟬の声を、俺が歩み寄っても「これひとつとして違いを見せることのないもの」とするために、つまり存在を、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるものから、無応答で在…

にぎり飯は「存在のすり替え」を観たあとに喰らおう

*あたらしい知覚論をください第3回 先ほど、俺が歩み寄ると、松の木の姿や蝉の鳴き声(音)が刻一刻と変化するのを確認した。松の木や蟬の声はまさに「他のもの(私の身体など)と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるものである。…