(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

2016-07-01から1ヶ月間の記事一覧

にぎり飯を喰らうまえに、松の木と蟬の声をめでよう

*あたらしい知覚論をください第2回 科学の知覚論が生まれるに至る経緯を事のはじめから見ていく。 俺が歩み寄れば、松の木は刻一刻とその姿を大きくする(話を簡単に進めるために、松の木が終始、占めている位置を変えない場合をいまは例にあげる)。実寸…

にぎり飯をぶらさげて冒険旅行に出かけよう

*あたらしい知覚論をください第1回 見る、聞く、匂う、味わう、触れる、といった知覚体験についてあたらしい論を手に入れようというのが今回の狙いである。よろしくお願い申し上げる次第だ。 ひとによって異なった色に見えるドレスの写真がたしか昨年あた…

科学の可能性は限界を見極められてこそ把握可能?

「科学は存在同士のつながりを切断してから考える」*1と題しました文章で先日書きましたように、科学が私たちに説明して聞かせてくれる、身体、世界、身体感覚、知覚体験(見る、聞く、匂う、味わう、触れる)、存在、関係、はことごとくすべて、実際のもの…

存在から、容姿(色を含む)、音、匂い、味、感触、をとり去ってゴミ箱に捨てるの巻

*デカルトの超絶手品ぁ〜ニャで科学は基礎を形作る第9回 俺の推測が的外れであれなんであれ、デカルトが「存在の客観化」というこの超絶手品によって、存在を、「どの位置を占めているか」ということしか問題にならない何か(延長)にすり替えたのは間違い…

超絶手品のタネを見破るの巻

*デカルトの超絶手品ぁ〜ニャで科学は基礎を形作る第8回 デカルトは『省察』*1の第2省察で俺たちの目の前に蜜蝋を持って現れたときすでに蜜蝋を、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるものから、無応答で在るものにすり替え…

デカルト超絶手品のタネ明かしに踏みこもうとする数日前の巻

*デカルトの超絶手品ぁ〜ニャで科学は基礎を形作る第7回 実際は「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるものである存在を、事実に反して、無応答で在るものにすり替えますと、存在の実際の姿から、ほんとうは存在には属していな…