(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧

疫学という数量化(後半)

*津田敏秀『医学的根拠とは何か』岩波書店 津田さんは日本でこうまでEBMが普及しない理由を本書で二つあげている。そのひとつは直感を重視する医師の理解がえられないこと。もうひとつは、身体内のメカニズムを解明することこそ医学の根拠であると信じるメ…

疫学という数量化(前半)

*津田敏秀『医学的根拠とは何か』岩波書店 疫学を専門とする医師、津田敏秀さんの怒りが本書で炸裂しているのである。いったい津田さんは何について怒っているのか。 医学的根拠とは何か (岩波新書) 作者: 津田敏秀 出版社/メーカー: 岩波書店 発売日: 2013…

位置取りの変化だけが変化であるものへ

今日も何かのひとつ覚えように、科学による存在の読み替えについてひとこと申し上げようと参上いたしました。ただし今日は、変化という新たな観点からお話ししようと思います。 ハガキを郵便ポストに入れにいく途中だとします。歩道の先に見えているポストに…

はじめに2015年版

科学は世界がどういうものか説明してくれます。私は本格的に科学に触れたとき、科学のその説明に驚きをおぼえました。ほんとうに心底びっくりしました。そして今でも科学の世界観に驚きを禁じえません。 科学の世界観に私が覚えたのは驚きだけではありません…

科学は存在を読み替え、存在の神秘を見失う

科学は、というかデカルト以後の西洋では、存在を読み替えます。この読み替えにはもろちん利点もありますが、同時に問題点もあるかと思われます(それがささいなものなのか、それとも無視できないほどのものなのかは、今は考えないことにします)。たしかに…

存在の読み替えとフッサール、ハイデガー

科学は存在を読み替えます。ですが、調べてみますと、それは科学に限ったことではないようです。哲学者デカルトははやくも著書でそうした存在の読み替えをものの見事にやってみせています。科学はこうした読み替え作業を受け継いだものと言うべきかもしれま…

まとめ

*寺田寅彦、存在の読み替えについて第13回 以上、例をあげながら、存在が、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに答えるものであることをまず確認し、そのあと、科学が存在をただ無応答で在るだけのものにすり替えているのを確かめ…

私の内部と外部

*寺田寅彦、存在の読み替えについて第12回 では、科学によって存在からとり除かれた、私が現に目の当たりにしている、川の流れる姿、舞台中央のソリストの姿、レモンの黄色、現に聞いているトランペットの音、現に嗅いでいる花の香り、現に味わっているレモ…

位置取りに問題を限定する

*寺田寅彦、存在の読み替えについて第11回 存在を、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに答えるものから、ただ無応答で在るだけのものへすり替えることで、向日葵も、机の一辺も、その表面も、蜜蝋も、位置を占めているという性質…

デカルトの蜜蝋

*寺田寅彦、存在の読み替えについて第10回 デカルトはこの「客観化」作業を使って、一個の蜜蝋を、ただ無応答で在るだけのものであるところの「客観存在」へと読み替えてみせる。 それはたったいま、蜜蜂の巣から取りだされたばかりである。それ自身の蜜の…

客観存在とは

*寺田寅彦、存在の読み替えについて第9回 科学にとっての存在には外見も認められず、また色も、私たちが普段、目の当たりにする色としては認められなくなる。同様に、堅さも堅さとしては認められないことになる。 目をつむりながら、机の上にあるペンを上…

存在の客観化

*寺田寅彦、存在の読み替えについて第8回 実際に、「客観存在」を作りだすこうした「客観化」という操作を簡単な例でいくつかやってみよう。 部屋のなかにある一つの机を考えてみる。 この机の表面には四辺ある。この机に着けば、手前にくる一辺を例にあげ…

客観化という存在の読み替え

*寺田寅彦、存在の読み替えについて第7回 科学が存在を、ただ無応答で在るだけのもの(客観存在)へすり替えることについて、長くなったが、ここまで確認してきた。寺田は随筆「物理学と感覚」で、自分はマッハのように、感覚こそ実在であると考えると書い…

ただ無応答で在るだけのもの

*寺田寅彦、存在の読み替えについて第6回 向日葵にしろ、人の顔にしろ、舞台上の演奏者の身体にしろ、音にしろ、それぞれは、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」を終始問われるものである。比喩的な言い方をすれば、それらはそれぞれ、「他…