(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

2015-04-01から1ヶ月間の記事一覧

ハイデガー『形而上学入門』/4.第三章 

(3のつづき) 捜査本部はながらく存在の行方を捜査している。けれどもこのかた捜査にはまったく何の進展も見られず、ついにこのたび捜査責任者のいれかえが行われることになった。新たに捜査本部のトップに着くことになったのはハイデガーである。 形而上…

「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに答える姿

*寺田寅彦、存在の読み替えについて第5回 誰でもが日々体験していてよく熟知している単純なこと、すなわち、歩み寄れば向日葵の姿は大きくなっていき、遠ざかれば逆にその姿は小さくなっていくという、ごくごく簡単なことを、今わざわざ形式ばった言い方で…

どのように在るかとは、他と共に在るにあたってどのようにあるかということ

*寺田寅彦、存在の読み替えについて第4回 黄色い向日葵が地面に一本だけぽつんと植わっている。今この向日葵に遠くからゆっくり近づいていくと、その姿は一瞬ごとに少しずつ大きくなっていく(大きくなるのは向日葵の実寸ではなく、あくまでその姿である)…

姿の確認

*寺田寅彦、存在の読み替えについて第3回 自分の目の前にこちらを向いた人がいるとする。私はその人の顔を見ている。しかしこの人の顔で私に見えているのは、こちらに正対した面の、その上っ面だけである。顔の側面も背面も見えてはいない。当然頭の中身も…

随筆「物理学と感覚」

*寺田寅彦、存在の読み替えについて第2回 高知新聞の記事に出てくる随筆「物理学と感覚」(大正6年11月)を読んでみる。この随筆は科学の基本姿勢を的確につかんでいて、物理学にたいする寺田の異議申し立てについてもわかり易く説明している。この随筆の…

寺田による科学への異議申し立て

*寺田寅彦、存在の読み替えについて第1回 科学というと、事実を事実に忠実に把握する学と思われがちであるが、それはむしろひとつの思想である。ひとつの独特な世界観を作りあげる営みである。物理学者の寺田寅彦(1878年-1935年)は生前、科学が作りあげ…

寺田寅彦「物理学と感覚」

みなさんはどうだろうか。以前の私はというと、事実を事実のままに捉える学問だと科学のことを思っていたのである。事実を事実のままに捉える学問だと思いこんだまま、科学の本を手にとっていた。事実を事実のままに捉える学問であれば本の中身を理解するの…