*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.40
◆肉まん放置事件returns
さて、みなさん、どうでしたか?
今回見たDさんの3事例は、統合失調症の症例(幻聴)とされ、「理解不可能」とされるものばかりでしたよね。だけど、その3事例でのDさんはほんとうに、そうした(精神)医学の見立てどおり、「理解不可能」でしたか? 「人間の知恵をもってしては永久に解くことのできぬ謎」でしたか?
いや、十分、「理解可能」でしたよね。
みなさんもふだんよくする「現実修正解釈」を、Dさんもしていたにすぎませんね?
もちろん、いまDさんのことを完璧に理解できたと言うつもりは俺にはサラサラありませんよ。むしろ、Dさんのことを多々誤ったふうに決めつけてしまったのではないかと気が咎めて仕方がないくらいですよ。
たとえば、肉まん放置事件のことを今一度、思い出してみてくださいよ。
友人が道端に肉まんの食べかけを捨てた瞬間、「デブ、ブス、副指揮者はダメだ、頼りがいがない」という声がDさんに聞こえてきた、ということでしたよね。それは、Dさんがその友人に注意できなかったことをきっかけに、他人からの評価を気にしはじめたということなのではないか、と先に推測しましたけど、真相はひょっとすると、まったく別だったかもしれませんよね? もしかすると、Dさんが、「デブ、ブス、副指揮者はダメだ、頼りがいがない」と自責し出した(現実)ということだったかもしれませんね?
しかし、Dさんからすると、自分がそこで自責し出したりするはずはなかった。つまり、語弊を恐れながらも言い換えると、そのときDさんには、自分が自責しているはずはないという「自信」があった。
で、その「自信」に合うよう、Dさんは現実をこう解した。
「デブ、ブス、副指揮者はダメだ、頼りがいがない」と言う声が聞こえてくる、って。
- ①友人に注意できなかった自分を、「デブ、ブス、副指揮者はダメだ、頼りがいがない」と自責する(現実)。
- ②自分が自責しているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
- ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「『デブ、ブス、副指揮者はダメだ、頼りがいがない』と言う声が聞こえてくる」(現実修正解釈)
こういった可能性だって、考えられないわけではありませんね?
肉まん放置事件について最初にした推測は、事によると、誤解だったかもしれませんよね?
Dさんのことを完璧に理解し得たとは、とても請け合えそうにありませんね?
とはいえ、その3事例でのDさんがほんとうは「理解可能」であるということ自体は、今回、少なくとも明らかになったのではないでしょうか。
申し分のない人間理解力をもったみなさんになら、そのDさんのことが完璧に理解できるということは、十分示され得たのではないでしょうか。
今回は、「デブ、ブス、副指揮者はダメだ、頼りがいがない」「おしゃれっぽい、かわいい、きれい……」といった声が聞こえてきたと訴えていたDさんに登場してもらい、統合失調症と診断され、「理解不可能」と決めつけられていたそのDさんが、(精神)医学の見立てに反し、ほんとうは「理解可能」であったことを実地に確認しました。
2021年8月12日に文章を一部訂正しました。
次回は6月7日(月)21:00頃にお目にかかります。
*今回の最初の記事(1/6)はこちら。
*前回の短編(短編NO.39)はこちら。
*このシリーズ(全48短編を予定)の記事一覧はこちら。