(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

統合失調症の「友人、某タレント、某大物世界的ミュージシャンと、次々にテレパシーで交信した」を理解する(6/7)【統合失調症理解#14- vol.8】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.28


フィル・コリンズも交信に加わってくる

 さらに小林さんは、こうも書いています。

 フィル・コリンズが自分も交信できることを主張し、僕の心臓の鼓動を支えるようにドラムを叩いてくれた。色んな人に守ってもらえて嬉しかった(小林和彦『ボクには世界がこう見えていた』新潮文庫、2011年、p.130)。

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

  • 作者:小林 和彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/10/28
  • メディア: 文庫
 


 1980後半から1990年代初頭にかけ、テレビやラジオでよくフィル・コリンズ(イギリスのボーカリスト兼ドラマーで、ジェネシスというグループのメンバー)の曲が流れていませんでした? よく耳にする曲などを何かの拍子に「頭のなかで再生してしまう」ことって、みなさん、ありますよね? ずっとおなじ曲を頭のなかで延々と聞いてしまって、止められなくなった経験、みなさん誰しも、ありますね?


 ひょっとすると、布団のなかにいたそのとき、小林さんは何かの拍子に、ふだんよく耳にするフィルコリンズの曲を頭のなかでつい再生してしまったのかもしれませんね。そしてその曲のビートに胸を熱くしたのかもしれませんね。


 で、お腹がグゥーっと鳴ったのを木梨からの返事と決めつけた先ほどとおなじものの見方を、ここでも、つぎのようにしたのかもしれませんね。

  • フィル・コリンズの曲を聴いて、とっさに、これもテレパシーではないかと閃く(とっさに一可能性を思いつく)。
  • ②自分の閃きが誤っているはずはないという自信がある(他の可能性を不当排除する)。
  • ③そんな自信があった小林さんは、これもフィル・コリンズからのテレパシーにちがいないと決めつける(勝手にひとつに決めつける/現実を自分に都合良く解釈する)。


 だけど、ここでは、いま見たのとは別の解し方をしてみることにしますよ。





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2021年10月17日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/7)はこちら。


*前回の短編(短編NO.27)はこちら。


*このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

統合失調症の「友人、某タレント、某大物世界的ミュージシャンと、次々にテレパシーで交信した」を理解する(5/7)【統合失調症理解#14- vol.8】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.28


◆同時に自分の閃きを疑う

 でも、いま例に出しました間違い電話の場合、いつも慎重なみなさんなら、どうします? 「また、おなじひとからかも」と閃いたそのとき、同時にその閃きを疑ってもみませんか。いや、さすがにこれは別のひとからかもしれないな、って。


 そうして、またおなじ間違い電話のひとからであるという可能性と、そうではない可能性のふたつを同時に感じながら、電話をとるのではありませんか。


 だけど、小林さんはそのとき、「木梨からの交信だ」とする自分の閃きを疑ってみることはなかったのではないでしょうか。


 要するに、小林さんからすると、自分がそこで、誤った内容の着想を思いついたりするはずはなかったのではないでしょうか。


 つまり、小林さんのその見立てを、少々語弊があるかもしれませんけど、言い換えれば、こういうことだったのではないかということですよ。そのとき小林さんには、自分の閃きが誤っているはずはないという「自信」があったのではないか、って。


 で、そんな自信があった小林さんは、お腹が鳴ったこの音は木梨からの交信に間違いないと決めつけた、ということではないでしょうか。


 実際、さっき引き合いに出した間違い電話の場合でも、そういうことが、慎重派のみなさんにも、ときにありません?


 おなじひとから何度も立てつづけに、間違い電話がかかってきた。いまもそのひとの電話を切ったばかりである。すると、すぐにまた電話が鳴った。


 で、みなさんは瞬時に、「またおなじひとからだ」と閃いた。


 ところが、そんなとき、ふだんのみなさんならそうしたとっさの閃きを疑ってもみる(別のひとからの電話である可能性にも慎重に思いを致してみる)のに、なぜか、そのときに限って、自分の閃きに絶対の自信をもってしまい、「きっとまたおなじ間違いの電話のひとからだな!」と決めつけてしまったというようなことが、ときにありませんか。


 いま、こう推測しました。箇条書きにして振り返ってみますね。

  • ①ひとびととテレパシーで交信できていると思い込んでいた。そんななか、また別の交信があったような気がして、「木梨か?」と訊くと、自分のお腹がグゥーっと鳴った。瞬時に、「木梨からのテレパシーによる返事だ」と閃いた(とっさに一可能性を思いつく)。
  • ②自分の閃きが誤っているはずはないという自信がある(他の可能性を不当排除する)。
  • ③お腹が鳴ったその音を、木梨からのテレパシーによる返事だと決めつける(勝手にひとつに決めつける/現実を自分に都合良く解釈する)





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2020年9月29日に表現を一部変更しました。また2021年10月17日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/7)はこちら。


*前回の短編(短編NO.27)はこちら。


*このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

統合失調症の「友人、某タレント、某大物世界的ミュージシャンと、次々にテレパシーで交信した」を理解する(4/7)【統合失調症理解#14- vol.8】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.28


とんねるず木梨憲武とテレパシーで交信する

 小林さんはさらにこうも書いています。

 突然とんねるず木梨憲武が交信してきた。


「木梨?」


 と聞くと、彼は、


あしたのジョー


 と答えた。これはとんねるずが『お坊チャマにはわかるまい!』の最終回で使ったギャグで、「ジョー」という音を僕の声帯ではなく、お腹のあたりを使って鳴らしたのがいかにも木梨らしくて笑えた(小林和彦『ボクには世界がこう見えていた』新潮文庫、2011年、p.130)。

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

  • 作者:小林 和彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/10/28
  • メディア: 文庫
 


 小林さんが、小林さんお気に入りのとんねるず木梨憲武のことを考えていたとき、手足が震えたり、背中がぞくぞくしたりしてきたのかもしれませんね。そこで、ちょうどいま見た要領で、それをテレパシーによる交信と信じ、「木梨?」と訊いた。するとたまたま小林さんの腹がグゥーっと鳴った


 で、ひとびととテレパシーで交信できている最中だと信じ込んでいた小林さんは、ふとこう閃いた


 これも、テレパシーによる交信で、木梨からの返事なのではないか、って。


 そして、そのお腹のグゥーっと鳴る音が、かつてとんねるずが使った「あしたのジョー」というギャグの「ジョー」の部分に似ている気がした小林さんは、とっさにこう考えた


 ひょっとして木梨はいま、「あしたのジョー」の「ジョー」の部分を、ボクのお腹を使って鳴らすという形で、ボクに返事をしたのではないか、って。


 たとえて言ってみれば、こういうことですよ。


 おなじひとから何度も立てつづけに、間違い電話がかかってきたとしますね*1? みなさんはそのひとの電話をいま切ったばかりである。すると、すぐにまた電話が鳴った。


 どうですか、みなさん。瞬時にこう閃きませんか


 また、おなじひとからかもしれない、って。


 小林さんのいまの場合も、それとおなじようなことだったのではないかということですよ。手足が震えたり、背中がぞくぞくしたりするのを立てつづけに、ひとからの交信ととっていた小林さんは、お腹が鳴ったこのときも、その流れで、木梨からの交信だと瞬時に閃いたのではないかということですよ。





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2021年10月17日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/7)はこちら。


*前回の短編(短編NO.27)はこちら。


*このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

*1:以下のたとえは、電話というとほぼ携帯電話を意味する現在では、あまりピンとこないものかもしれませんね?

統合失調症の「友人、某タレント、某大物世界的ミュージシャンと、次々にテレパシーで交信した」を理解する(3/7)【統合失調症理解#14- vol.8】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.28


 いまの推測をふり返ってみますね。


 小林さんが布団のなかで、いろんなひとや団体のことを思い浮かべながら、「協力してほしい」と、ちからを込めて強く願っていたところ、手足が震えたり、背中がぞくぞくしたりしてきた(現実)。ところがその小林さんには、手足が震えたり、背中がぞくぞくしたりしているのは、いつものとは別の何かであるはずだという「自信」があった。このように「現実自信とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、先にも言いましたように、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。

  • A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。

  • B.その背反を解消するために、「現実のほうを、「自信」に合うよう修正する


 で、小林さんはこの場面でも後者Bの「現実のほうを修正する」手をとった。すなわち、手足が震えたり、背中がぞくぞくしたりしているのは、いつものとは別の何かであるはずだとするその自信に合うよう、現実をこう解した。


 この手足が震えたり、背中がぞくぞくしたりしているのはテレパシーによる交信なんだ! ボクのお願いにみんながこうした感覚の形で応えてくれているんだ。


 箇条書きにしてまとめてみますね。

  • ①布団のなかで、いろんなひとや団体のことを思い浮かべながら、「協力してほしい」と、ちからを込めて強く願っていたところ、手足が震えたり、背中がぞくぞくしたりしてきた(現実)。
  • ②手足が震えたり、背中がぞくぞくしたりしているのは、いつものとは別の何かであるはずだという自信がある(現実と背反している自信)。
  • ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「この手足が震えたり、背中がぞくぞくしたりしているのはテレパシーによる交信なんだ! ボクのお願いにみんながこうした感覚の形で応えていれているんだ」(現実を自分に都合良く解釈する


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2021年10月17日に文章を一部修正しました。


今回の最初の記事(1/7)はこちら。


前回の短編(短編NO.27)はこちら。


このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

統合失調症の「友人、某タレント、某大物世界的ミュージシャンと、次々にテレパシーで交信した」を理解する(2/7)【統合失調症理解#14- vol.8】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.28


◆テレパシーでの交信の仕方

 どんな内容だったか残念ながら忘れてしまったが、テレパシーで会話できるのはミックだけではなく、あらゆる人間と交信できることがわかった。交信を司る器官は頭の中だけではなく、手とか足とか背中とか各内蔵とか、すべての器官でできるのだ。中枢神経は頭の中にあるのだろうが、体中の各器官が色々な感覚を引き起こす形で行われたのである。個人との交信も団体との交信もできた。


 僕は体制を変革してよりよい世界を作ろうと思っているが、僕一人の力ではできない。そんな協力してくれないかと伝えると、皆、拍手や歓声で受け入れてくれた。受信は、手や足が震えたり背中がぞくぞくしたりするかたちで行われた


 多数の人と交信するに伴って、頭の中にある種のイメージ(映像)が現れた。幻視、幻覚かもしれない。断っておくが僕は覚醒剤、シンナーの類を一切やったことはない。だから穏当な表現をすれば、普段夢に見るイメージを覚醒していた時に見たのだ。(略)


 これは大変刺激的な体験で、僕はこれによって様々な懸案事項を解決していったが、やがて映像イメージの繰り返しは沈静化していった。手や足があまりにも激しく動くので肉体的に疲れてしまったし、もう残された問題は何もないと思ったのだ(小林和彦『ボクには世界がこう見えていた』新潮文庫、2011年、pp.127-128、ただしゴシック化は引用者による)。

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

  • 作者:小林 和彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/10/28
  • メディア: 文庫
 


 小林さんは言っていましたね。テレパシーでの交信は「体中の各器官が色々な感覚を引き起こす形で行われた」って。すなわち、「手や足が震えたり、背中がぞくぞくしたりするかたちで行われた」って。「僕は体制を変革してよりよい世界を作ろうと思っているが、僕一人の力ではできない。そんな協力してくれないかと伝えると(略)手足が震えたり、背中がぞくぞくしたりするかたち」で、「拍手や歓声」がみんなから返ってきたんだ、って。


 日中、小林さんは、時の内閣に監視されていて、果ては殺されるかもしないと、逃げ惑っていました。そうして身を、恐怖に震わせ、緊張に強張らせて、興奮していました。帰宅後もその動揺が覚めやらないでいるらしいのを前回、確かめもしましたよね? なら、その夜、布団のなかで、政府に追いかけられる重圧と恐怖をヒシヒシと感じながら思い詰めているとき、小林さんの手足がはげしく震えたり、背中がぞくぞくしてきたりしたとしても何ら不思議はなかったのではないかと、みなさん思いません?


 小林さんは布団のなかで、いろんなひとや団体のことを思い浮かべながら、ちからを込めて強くこう願っていた。


「僕は体制を変革してよりよい世界を作ろうと思っているが、僕一人の力ではできない」。誰か「協力して」ほしい、って。


 すると、手足がはげしく震えたり、背中がぞくぞくしたりしてきた。


 だけど、小林さんからすると、その場面で自分の手足が震えたり、背中がぞくぞくしたりするはずはなかったのではないでしょうか。


 いや、いっそ、小林さんのその見立ても、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そのとき小林さんには、自分の手足が震えたり背中がぞくぞくしたりしているのはいつものとは別の何かであるはずだという「自信」があったのではないか、って。


 で、その自信に合うよう、小林さんは、現実をこう解した。


 この手足が震えたり、背中がぞくぞくしたりしているのはテレパシーによる交信なんだ! 「よりよい世界をつくるための運動に協力してほしい」というボクの願いがみんなに伝わって、それにみんながこうした感覚で応えてくれているんだ! これはみんなの「拍手や歓声」なんだ! 





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2020年9月29日に表現を一部変更しました。また2021年10月16,17日に文章を一部修正しました。


*前回の短編(短編NO.27)はこちら。


*このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

統合失調症の「友人、某タレント、某大物世界的ミュージシャンと、次々にテレパシーで交信した」を理解する(1/7)【統合失調症理解#14- vol.8】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.28

あらすじ
 小林和彦さんの『ボクには世界がこう見えていた』(新潮文庫、2011年)という本をとり挙げさせてもらって、今回で8回目です(全9回)。

 小林さんが統合失調症を「突然発症した」とされる日の模様からはじめ、現在はその翌日を見ているところです。

 統合失調症と診断され、「理解不可能」と決めつけられてきたその小林さんが、(精神)医学のそうした見立てに反し、ほんとうは「理解可能」であることを、実地にひとつひとつ確認しています。

  • vol.1(下準備:メッセージを受けとる)
  • vol.2(朝刊からメッセージを受けとる)
  • vol.3駅名標示から意味、暗号を受けとる)
  • vol.4早稲田大学で学生3人組と会話する)
  • vol.5(謎がついに解ける)
  • vol.6(政府の手先から逃げる)
  • vol.7(帰宅する)

 

今回の目次
・ミックとテレパシーで会話する
・テレパシーでの交信の仕方
とんねるず木梨憲武とテレパシーで交信する
・同時に自分の閃きを疑う
フィル・コリンズも交信に加わってくる


◆ミックとテレパシーで会話する

 統合失調症を「突然発症した」とされる日の翌日、7月25日(金)、助言を求めて訪れた母校、早稲田大学からなんとか帰宅した小林さんが、午前3時頃に目を覚ましたところまでを見ましたよね。


 今回はそのつづきから、です。

 また寝ようとしたが、すっかり頭が冴えてしまって、夜の気に影響されてか、僕はまた様々なことを考え始めた。詳しいことは覚えていないが、僕の考えを皆に伝える最もいい方法を模索していたようだ。



 突然テレパシーのようなもので誰かと交信がつながった。昼間も聞こえたミック〔引用者注:小林さんの友人〕の声のようなものだった。声は耳からではなく、頭の中に直接入ってきた。これがテレパシーというものかと思い、幻聴だとは全く思わなかった。


後にミックは
この日は午前四時ごろまで起きていたが僕とテレパシーで会話した覚えはないと言った僕はそれならミックの守護霊と会話していたんだろうと解釈し、幻聴を認めなかった(小林和彦『ボクには世界がこう見えていた』新潮文庫、2011年、p.127、ただしゴシック化は引用者による)。

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

  • 作者:小林 和彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/10/28
  • メディア: 文庫
 


 これまで、ミックという名のこの友人は度々出てきましたね。ミックは小林さんにとって、真っ先に思い浮かぶ「味方」なのかもしれませんね。そのミックとテレパシーで交信したといま小林さんは言っていました。でも、後日ミック本人に訊いてみると、そんな交信をした覚えはないと否定した。


 おそらく小林さんはミックとそうした交信をしたと思い違いしていただけですね? だけど、小林さんからすると、あの夜あの場面で、自分が思い違いをしたりするはずはなかった。


 いや、いっそ、小林さんのその見立てを、少々語弊があるかもしれませんけど、例によって例のごとく、こう言い換えてみることにしましょうか。小林さんには自信があったんだ、って。ミックとたしかにテレパシーで交信したはずだという自信が、って。


 ミックは、小林さんと交信した覚えはないと言っている(現実)。が、小林さんには、たしかにミックと交信したはずだという「自信」がある。このように「現実自信とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、やはり、つぎのふたつのうちのいずれかであるように、俺には思われます。

  • A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
  • B.その背反を解消するために、「現実のほうを、「自信」に合うよう修正する


 では、もしその場面で小林さんが前者Aの「自信のほうを訂正する」手をとっていたら事はどうなっていたか、ちょっと想像してみましょうか。


 もしとっていたら、小林さんは、こんなふうに「自信」を改めることになっていたのではないかと、みなさん思いません?


 ミックとテレパシーで交信したというのはボクの思い違いだったようだな、って。


 でも、小林さんがその場面でも実際にとったのは後者Bの「現実のほうを修正する」手だった。すなわち、小林さんは、ミックとたしかにテレパシーで交信したはずだとするその自信に合うよう、現実をこう解した。


「それならミックの守護霊とテレパシーで会話していたんだろう」


 箇条書きにしてまとめてみますよ。

  • ①ミックは小林さんとテレパシーで交信した覚えはないと言っている(現実)。
  • ②たしかにミックとテレパシーで交信したはずだという自信がある(現実と背反している自信)。
  • ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「それならミックの守護霊とテレパシーで会話していたんだろう」(現実を自分に都合良く解釈する


 が、それにしてもなぜ小林さんは、テレパシーで交信していると思ったのでしょうね? ミックとの交信については詳しいことは何も記されていませんでしたけど、引用文のつづきにはこう書いてありますよ。





         (1/7) (→2/7へ進む

 

 




2020年9月29日に表現を一部変更しました。また2021年10月16,17日に文章を一部修正しました。


*このシリーズは全9回でお送りします(今回はvol.8)。

  • vol.1

  • vol.2

  • vol.3

  • vol.4

  • vol.5

  • vol.6

  • vol.7(前回)

  • vol.9(次回)


*このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

統合失調症の「テレビで自民党大物政治家が僕のことで喜ぶ」「アナウンサーがニュースで僕のことを仄めかす」「夜中の誰かが階段を駆け降りていった音は、睡眠中に僕の脳波をはかっていた者の慌てて逃げていく足音だった」を理解する(6/6)【統合失調症理解#14-vol.7】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.27


◆正体を確かめに行ってはいけない

 さらに小林さんは続けて、こうも言っていましたね。その足音について、「起きてドアを開けて一階に行けば確かめられるが、なぜかそれをしてはいけないという自制心が働き、僕はベッドから出なかった」って。


 足音の正体を確かためたい気持ちはあったものの、恐ろしくて見に行けなかったのかもしれもせんね。


 だけど、小林さんからすると、その場面で自分が、怖じ気づいたりするはずはなかった。いや、いっそ、小林さんのその見立ても、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そのとき小林さんには、自分が怖じ気づいているはずはないという自信があったんだ、って。


 で、そんな自信があった小林さんには、足音の正体を確かめに行ってはいけないという自制心がなぜ働いたのかはわからなかった、ということなのかもしれませんね。


 いまこう推測しましたよ。


 小林さんには、足音の正体を確かめたい気持ちはあったものの、恐ろしくて、確かめに行けなかった(現実)。ところがその小林さんには、自分が怖じ気づいているはずはないという「自信」があった。で、「現実と背反したそうした自信があった小林さんには、「現実がうまく理解できなかった。足音の正体を確かめに行ってはいけないという自制心がなぜ働いたのかはわからなかった、って。


 いまの推測を箇条書きにしてまとめてみますね。

  • ①足音の正体を確かためたい気持ちはあったものの、恐ろしくて、確かめに行くことができない(現実)。
  • ②自分が怖じ気づいているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
  • ③足音の正体を確かめに行ってはいけないという自制心がなぜ働いたのかわからない(現実を自分に都合良く解釈する)。


 さて、今回は、帰宅してからの小林さんについて計3つ、自民党宮沢氏の喜び、テレビキャスターの発言、廊下の足音、を見ました。その3つから、政府に日中つけ回されたと思い込んでいた小林さんが、帰宅後もまだかなり怯えているらしいことが見てとれたような気がしませんか(政府に追い回されたということなら、誰だってそんなふうに長らく動揺しますよね?)。


 そしてこの後もおなじような影響が、ベッドのなかの小林さんのもとに出てきます。この調子で、つづきをあと2回、見ていきますよ。





5/6に戻る←) (6/6) (→次回へつづく

 

 




2020年9月22日、2021年10月5,7日に文章を一部修正しました。


次回は9月28日(月)21:00頃にお目にかかります。


*今回の最初の記事(1/6)はこちら。


*このシリーズは全9回でお送りします(今回はvol.7)。

  • vol.1

  • vol.2

  • vol.3

  • vol.4

  • vol.5

  • vol.6(前回)

  • vol.8(次回)

  • vol.9


*このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。