*短編集「統合失調症と精神医学の差別」予告編
(分量:文庫本約5ページ)
いまから数年まえ、ある殺人事件が起こって、テレビやネットが騒然となりました。当時、強い憤りを覚えたひとは多かったのではないでしょうか。
俺は、憤るというより、ほとほとウンザリした方でしたけど。
ひょっとしてみなさん、こう漠然と言っただけで、そのときのこと思い出しました? その犯人が逮捕されるやいなや、テレビがまたぞろ意味ありげに、その人間には精神病院への通院歴があったと報じたこと。新聞が「犯人は××症である」と書きたてたこと。そういった報道にたいし、精神疾患のあるひとたちへの差別に当たると判で押したような批判があがったことや、そうした批判にたいする「果してほんとうに精神疾患と殺しは無関係なのか」といった再批判がなされたりしたことどもを?
いつまでこんなことをくり返しているのだろうと、俺、心底嫌気がさしましたよ。
みなさん、そんな俺がいま手にもって、PCもしくはスマホ画面の向こうにいるみなさんに突き出しているこの本のタイトル、読めますか。
岡田尊司(精神科医)著『統合失調症』PHP新書、2010年(良い本ですね、購入をお勧めします)、この本の一部文章をいまから読み上げるの、ちょっと聞いてみてくれません?
統合失調症は、およそ百人に一人が罹患することになる、頻度の高い、身近な疾患である。にもかかわらず、多くの人にとっては、まだ縁遠い不可解な疾患でしかないのが現状である。昔に比べれば、精神科の垣根も低くなったとはいえ、精神病に対しては、依然根深い偏見があり、病気のことを知られることに不安を感じ、家族が、統合失調症患者をひた隠しにしようとする場合もある。そうせざるを得ない現実があるのだ。秘め隠すことで現実を知ってもらえず、余計に周囲の理解が育まれないという悪循環もあった。
だが、今や時代は大きく変わろうとしている。是非、この疾患について、もっと多くの人に知ってもらい、正しい理解をもってほしい。そして、この疾患の過酷な側面とともに、実に人間的で、親しみの湧く側面にも出合っていただければと思う(同書4ページ、ただしゴシック化は引用者による)。
こうした論調にはみなさんよく出くわしますよね? 箇条書きにするとこうなりますね。
- 世間には、精神病を患っているひとたちにたいする根強い「偏見」が未だにある。
- 精神医学による「正しい理解」が世間に浸透していないということである。
- そうした差別をなくすために精神医学による「正しい理解」を世間に広めていかなければならない。
けど、ほんとうにそうでしょうか。僭越ながら俺にはそういった見方がまるっきり見当違い すみません、偉そうな口をきいて のように思われてなりません。
精神医学がひとを「正しく理解」したことなど、かつて一度もありはしなかったのではないでしょうか。精神医学がしてきたことといえば、せいぜい、世間の偏見に権威的なお墨つきを与えることくらいだったのではないでしょうか。
俺、極端なことを口走ってます? いや、たしかにちょっと言い過ぎたかもしれませんね。
でも、岡田精神科医自身、先の文章のつづきにこう書いていますよ。
統合失調症を理解するためには、正しい知識とともに、人間として共感することが大切に思える。本書を書こうと思った理由の一つには、統合失調症を語る精神医学の用語が、あまりにも古色蒼然とし、非人間的で、形骸化し、現状と合わなくなっているということがある。統合失調症について、精神医学が好んで使う用語に、「平板化」とか「感情鈍麻」とか「常同的」といったものがある。極めつけは、「欠陥状態」という用語だ。これは、人間が、人間に用いるべき言葉なのだろうか? これらの用語は、今日も公式に使用されている。門外漢の人が見れば、異様な気持ちに襲われるだろう。ここは、どこなのか。今は、何時代なのかと。
これらの用語は、患者ではなく、精神医学自体の「感情鈍麻」を表していないかと危惧する人もいるかもしれない。「平板化」し、「常同的」になっているのは、精神医学のほうではないかと。「欠陥状態」を示しているのは、精神医学ではないかと。
百年も前に、ドイツの過剰収容の精神病院に閉じ込められた患者たちを観察した結果生み出された用語が、今日もなお、大手を振って通用しているのである。悲しいことに、こうした用語を学んだ精神科医は、いつのまにか、そうしたフィルターを通して、患者を見るようになる。初々しい心で患者に接していた新人の医師も、五年もすれば、精神医学という偏光眼鏡を埋め込まれてしまうのだ(同書5〜6ページ、ゴシック化は引用者による)。
ほら、やっぱり精神医学は人間を差別する体系なのではないでしょうか。
100年前のドイツ(1910年くらい)といえば、ナチス政権(1933-45)になる少しまえですよね*1? 医師たちみずから、ナチスに脅迫されたわけでもないのに、病人をせっせと病院に集めてきては殺戮をくり返していた時代の、ほんの2,30年まえにすぎませんね? 精神医学がそうした頃に勃興した学問であることをひとつ念頭に置いてみてくださいよ。どうです? ひょっとして精神医学は人間を差別する体系として生まれ育ってきたのではないかという疑念がおのずと胸のうちに兆してきません?
医学は、健康を正常であること、病気を異常であることとそれぞれ定義づけてやってきましたよね。
でも、異常などということはこの世にあり得ないとしたら、どうですか。
あり得ないとしたら、精神医学は誰かを不当にも異常と決めつけ、差別してきた、ということになりませんか。
次回の短篇(短篇1)は10月頃にお送りする予定です。翌週の8月5日(月)21:00には、今回のとは別のシリーズでお目にかかります。
*このシリーズでは、つぎの図書と記事から勉強させてもらうつもりです。
*このシリーズ(全64短編を予定)の主旨と記事一覧はこちら。