(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

あんパンをもちいて「科学」を定義する

*「科学」を定義する第1回


 最近、「○○の科学」というタイトルの本をかなり目にしますよね。


 でも正直、みなさん、疑問を覚えません?


 それはいったいどういった意味合いで、「科学」という言葉を使っているのだろうか、って。その「科学」という言葉に、しっかりした意味はあるのだろうか、って。


「科学」という言葉で、何か特別なもののことを指しているはずですよね? ごくごくありふれたものにわざわざ、「科学」という意味ありげな名前はつけませんね?


 だけど、どういった特別なもののことを指して、「科学と言っているのかイマイチ伝わってこないような気がしません? 数字やデータを扱うことそれ自体は、何も「科学」と呼ぶほど、特別なことではありませんしね(お金の勘定を「科学」と呼びます?)*1


 ひょっとすると、そうした本の幾ばくかは、「科学」という言葉をただ何となく、流行にのっかって使っているだけかもしれませんね。


「科学的であることが求められる」とか「××は非科学的であるとのソシリを免れない」などと言っていても、しょせん、科学と非科学の区別を勘を頼りにつけているにすぎないのかもしれませんね。


 みなさんなら科学をどう定義づけます


 えっ、俺?


 う〜ん、そうですね、俺はこう定義づけてみてはどうかと思います。いまみなさんが、眼前のテーブル上にある、あんパンを見ているとしますね。みなさんが見ているそのあんパンの姿は、みなさんの眼前数十センチメートルのところにありますよね。にもかかわらず、そのあんパンの姿をみなさんの心のなかにある映像にすぎないことにするものこそが科学なのである、って。


 そう定義づけると、「科学」がいかに特別なものかハッキリしてきません?


         (了) (→次回はこちら

 

 

このシリーズ(全5回)の要旨と記事一覧はこちら。

 

*1:2019年11月8日に文章を一部修正しました。

精神医学は差別する

*短編集「統合失調症と精神医学の差別」予告編

(分量:文庫本約5ページ)


 いまから数年まえ、ある殺人事件が起こって、テレビやネットが騒然となりました。当時、強い憤りを覚えたひとは多かったのではないでしょうか。


 俺は、憤るというより、ほとほとウンザリした方でしたけど。


 ひょっとしてみなさん、こう漠然と言っただけで、そのときのこと思い出しました? その犯人が逮捕されるやいなや、テレビがまたぞろ意味ありげに、その人間には精神病院への通院歴があったと報じたこと。新聞が「犯人は××症である」と書きたてたこと。そういった報道にたいし、精神疾患のあるひとたちへの差別に当たると判で押したような批判があがったことや、そうした批判にたいする「果してほんとうに精神疾患と殺しは無関係なのか」といった再批判がなされたりしたことどもを?


 いつまでこんなことをくり返しているのだろうと、俺、心底嫌気がさしましたよ。


 みなさん、そんな俺がいま手にもって、PCもしくはスマホ画面の向こうにいるみなさんに突き出しているこの本のタイトル、読めますか。


 岡田尊司精神科医)著『統合失調症PHP新書、2010年(良い本ですね、購入をお勧めします)、この本の一部文章をいまから読み上げるの、ちょっと聞いてみてくれません?

 統合失調症は、およそ百人に一人が罹患することになる、頻度の高い、身近な疾患である。にもかかわらず、多くの人にとっては、まだ縁遠い不可解な疾患でしかないのが現状である。昔に比べれば、精神科の垣根も低くなったとはいえ、精神病に対しては依然根深い偏見があり、病気のことを知られることに不安を感じ、家族が、統合失調症患者をひた隠しにしようとする場合もある。そうせざるを得ない現実があるのだ。秘め隠すことで現実を知ってもらえず、余計に周囲の理解が育まれないという悪循環もあった。


 だが、今や時代は大きく変わろうとしている。是非、この疾患について、もっと多くの人に知ってもらい、正しい理解をもってほしい。そして、この疾患の過酷な側面とともに、実に人間的で、親しみの湧く側面にも出合っていただければと思う(同書4ページ、ただしゴシック化は引用者による)。

統合失調症 (PHP新書)

統合失調症 (PHP新書)

 


 こうした論調にはみなさんよく出くわしますよね? 箇条書きにするとこうなりますね。

  1. 世間には、精神病を患っているひとたちにたいする根強い「偏見」が未だにある。
  2. 精神医学による「正しい理解」が世間に浸透していないということである。
  3. そうした差別をなくすために精神医学による「正しい理解」を世間に広めていかなければならない。


 けど、ほんとうにそうでしょうか。僭越ながら俺にはそういった見方がまるっきり見当違い  すみません、偉そうな口をきいて  のように思われてなりません。


 精神医学がひとを正しく理解したことなどかつて一度もありはしなかったのではないでしょうか。精神医学がしてきたことといえばせいぜい世間の偏見に権威的なお墨つきを与えることくらいだったのではないでしょうか。


 俺、極端なことを口走ってます? いや、たしかにちょっと言い過ぎたかもしれませんね。


 でも、岡田精神科医自身、先の文章のつづきにこう書いていますよ。

 統合失調症を理解するためには、正しい知識とともに、人間として共感することが大切に思える。本書を書こうと思った理由の一つには、統合失調症を語る精神医学の用語があまりにも古色蒼然とし非人間的で形骸化し現状と合わなくなっているということがある。統合失調症について、精神医学が好んで使う用語に、「平板化」とか「感情鈍麻」とか「常同的」といったものがある。極めつけは、「欠陥状態」という用語だ。これは人間が人間に用いるべき言葉なのだろうか? これらの用語は、今日も公式に使用されている。門外漢の人が見れば、異様な気持ちに襲われるだろう。ここは、どこなのか。今は、何時代なのかと。


 これらの用語は、患者ではなく、精神医学自体の「感情鈍麻」を表していないかと危惧する人もいるかもしれない。「平板化」し、「常同的」になっているのは、精神医学のほうではないかと。「欠陥状態」を示しているのは、精神医学ではないかと。


 百年も前にドイツの過剰収容の精神病院に閉じ込められた患者たちを観察した結果生み出された用語が今日もなお大手を振って通用しているのである。悲しいことに、こうした用語を学んだ精神科医は、いつのまにか、そうしたフィルターを通して、患者を見るようになる。初々しい心で患者に接していた新人の医師も、五年もすれば、精神医学という偏光眼鏡を埋め込まれてしまうのだ(同書5〜6ページ、ゴシック化は引用者による)。


 ほら、やっぱり精神医学は人間を差別する体系なのではないでしょうか


 100年前のドイツ(1910年くらい)といえば、ナチス政権(1933-45)になる少しまえですよね*1? 医師たちみずから、ナチスに脅迫されたわけでもないのに、病人をせっせと病院に集めてきては殺戮をくり返していた時代の、ほんの2,30年まえにすぎませんね? 精神医学がそうした頃に勃興した学問であることをひとつ念頭に置いてみてくださいよ。どうです? ひょっとして精神医学は人間を差別する体系として生まれ育ってきたのではないかという疑念がおのずと胸のうちに兆してきません?

相模原事件とヘイトクライム (岩波ブックレット)

相模原事件とヘイトクライム (岩波ブックレット)

 
ナチスドイツと障害者「安楽死」計画

ナチスドイツと障害者「安楽死」計画

 
健康帝国ナチス (草思社文庫)

健康帝国ナチス (草思社文庫)

 
アスペルガー医師とナチス 発達障害の一つの起源

アスペルガー医師とナチス 発達障害の一つの起源

 


 医学は、健康を正常であること、病気を異常であることとそれぞれ定義づけてやってきましたよね。


 でも、異常などということはこの世にあり得ないとしたら、どうですか。


 あり得ないとしたら、精神医学は誰かを不当にも異常と決めつけ、差別してきた、ということになりませんか。





         (了) (→次回短編はこちら

 

 




次回の短篇(短篇1)は10月頃にお送りする予定です。翌週の8月5日(月)21:00には、今回のとは別のシリーズでお目にかかります。


*このシリーズでは、つぎの図書と記事から勉強させてもらうつもりです。

統合失調症 (PHP新書)

統合失調症 (PHP新書)

 
べてるの家の「当事者研究」 (シリーズ ケアをひらく)

べてるの家の「当事者研究」 (シリーズ ケアをひらく)

 
ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

 


*このシリーズ(全64短編を予定)の主旨と記事一覧はこちら。

 

*1:2019年11月8日にこの一文を一部修正しました。

医学はこの世の根本原理にもとづかないで、人種差別論理に頼る《2/2》

*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第12回


医学は医学の出来事観を突きつめて物質をつぎのように定義する医学の物質観)。

  • 表現①:物質は身体に特定の出来事を起こす原因である(原因という言葉をもちいての表現)。
  • 表現②:物質は「状況に関係なく身体に特定の出来事を起こすもの」である(原因という言葉をもちいないでの表現)。
  • 表現③:おなじ物質をおなじように摂取・接種すれば、当然、身体におなじ特定の出来事が起こる


 でも、物質は実際、そういうものではないとのことでしたよね。おなじ物質をおなじように摂取・接種しても、ひとによって、もしくはおなじひとでも時と場合によって、身体に起こる出来事はしばしば異なるってことだったじゃないですか、ね?


医学の出来事観と物質観にもとづいて現実を見ると医学に都合が良いように現実を見過ぎることになる数々の可能性を落とすことになる)。


 そのことを、HPVワクチンを例に考察したじゃないですか。無責任にもいきなり夢のワクチン爆誕とかと言い出してしまう......って……あれ?


 いま、みなさんと俺、どこにいます? いったいココどこですかね? 大木目指して歩いてきたじゃないですか、その下でゴロゴロしながらお喋りしましょうって言って?


 ひょっとして、大木、遙か昔にとおり越しちゃってます?


 あっ、ほんとだ、大木、背後のあんなところにあるわ......


 遠くまできちゃったなあ……


 ついおしゃべりが白熱しすぎちゃいましたよ……えっ、もうお家に帰る? 嗚呼もうこんな時間ですしね......みなさんとお喋りするの楽しかったなあ……喋ってたの俺ばっかでしたけど……とはいえ、この世の根本原理だなんだと言って、みなさんがすでによく知っていることをよくもまあこれだけしつッこく、くっちゃべることができたもんだなあ。俺、面の皮、ぶ厚すぎるな恥ずか......あ、もう行きます? 別れはいつも急にやってきますね。ではまた! みなさん、これまで聞いてくれたこと、照れながら感謝します!


1/2に戻る←) (完)         

 

 

前回(第11回)の記事はこちら。


このシリーズ(全12回)の記事一覧はこちら。

 

医学はこの世の根本原理にもとづかないで、人種差別論理に頼る《1/2》

*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第12回


 えっと、ここまで何をお喋りしてきたんでしたっけ?


 こういうことでしたっけね? 箇条書きで挙げてみますね?


.大木であれ、俺の身体であれ、他人の脳であれ、音であれ、俺の過去体験記憶像であれ、身体に起こる出来事であれ、何であれそれを捉えるというのは状況を捉えるということである状況・最小単位説)。


 この「状況を捉える」というのは、「状況把握」をするということだ(現在までの状況の推移を把握すると同時に、そこから、現在以後の状況の推移を類推するということだ)って、一緒に確認しましたよ、ね?


この状況・最小単位説は当然ひとについても当てはまる


 ひとを捉えるというのは「そのひとが渦中にいる状況がどんなかを捉える」こと、でしたね。


 じゃあ、「そのひとが渦中にいる状況がどんなかを捉える」ことというのを、みなさんがいつも使う言葉で言い換えると、どうなるのだったか、覚えてます?


 そうですそうです、「そのひとの身になる」、でしたね。ひとを捉えるとはそのひとの身になること、でしたね。医学が統合失調症と診断し、永遠に理解され得ない人間であると決めつけてきた男性患者さんを例に、そのことを確認しましたよね。


医学はひとの身になろうとしない


 ひとの身になろうとさえしていれば、医学になら、その男性患者さんのことが完璧に理解できるはずなのに、医学はあろうことか、その男性患者さんのことを、永遠に理解され得ない人間と世間に説明してきたとのことでした。そのことから、医学にはそもそも、ひとの身になろうとする気はないんだ、すなわち、「そのひとが渦中にいる状況がどんなかを捉え」ようとする気はないんだってことがわかりました、ね? じゃあ、医学はその代わりに何をするのか。


医学はひとの身体に起こる出来事を一点のせいにする医学の出来事観


 ってことだったじゃないですか、ね? で、その出来事観についてはこういうことを確認しました、ね?

出来事を一点のせいにするというのはどういう論理か

  • (a)出来事が好ましい場合には、すべてをその一点のおかげとし、その一点を過大評価すること。
  • (b)出来事が好ましくない場合には、すべてをその一点におっかぶせ、その一点をとり除きさえすればいいとすること(排外主義の論理)。


しかし身体に起こる出来事を一点のせいにすることはできない物理学も化学も出来事を一点のせいにできるなどとは教えてこなかった


 物理学も化学も、出来事を一点のせいになんかしないってことを、力学を例に確認しました、ね? 物理学や化学も、物理学や化学なりに、状況を捉えようとしてきたんだってことでした、ね? そのために、物理学や化学は数々の法則を編み出してきたんじゃないのかなって俺、たしか言いましたよね?


身体に起こる出来事を一点のせいにするというのは、その一点を「状況に関係なく当の出来事を起こすもの」(当の出来事を起こす原因であることにしその一点があれば当然当の出来事が起こってくるってことにすることである。

  • (a)そんな一点(原因)はこの世に存在しない(そんな一点を特定したと言っているひとは、都合の良いデータしか見ていない)。
  • (b)それでもそうした一点(原因)を特定しようとすると、つぎのことが起こる。

①いくつかの都合の良いデータしか見ないで、誰かがそうした一点(原因)を特定したことにする。

②追試でその説の真偽を確かめようとした他のひとたちが、その説には都合の悪いデータに出くわし、その説に異議を申し立てることになる。

③そこで医学は、誰かが挙げたその一点を、探し求めている一点(原因)の一片であることにしておいて、再度、特定作業をやり直す。

④以後、上記①から③のくり返しが何度も起こり、探し求めている一点(原因)の一片とされるものがやたらめったら増えていく(それら一片同士を都合良く結びつけて、当の出来事が起こるメカニズムであることにする)。



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前回(第11回)の記事はこちら。


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医学のものの見方が雑すぎることを、HPVワクチンを例に確認する〈8/8〉

*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第11回


◆医学の出来事観と物質観にもとづくと(結論)

 以上、医学のHPVワクチン観を、3つの段階にわけて見てきました。医学は医学の出来事観と物質観にもとづいてこう考えるってことでしたね。


 HPVワクチンを接種すれば、当然、HPVにたいする抗体が身体のなかに産出される(段階①)。そのように、HPVにたいする抗体が身体のなかに産出されれば、当然、HPVは身体のなかから退治され(段階②)、HPVが身体のなかから退治されれば、当然、子宮頸がんにならなくなる(段階③)んだ、って。

箇条書きにすると

  • 段階①:HPVワクチンを接種すると、当然、HPVにたいする抗体が身体のなかに産出される。
  • 段階②:HPVにたいする抗体が身体のなかに産出されれば、当然、HPVは身体のなかから退治される。
  • 段階③:HPVが身体のなかから退治されれば、当然、子宮頸がんにならなくなる。


 それを図示するとこうなるとのことでしたね。

●HPVワクチン接種(A)

↓・・・段階①

●HPVにたいする抗体が身体のなかに産出される(B)

↓・・・段階②

●HPVが身体のなかから退治される(C)

↓・・・段階③

●子宮頸がんにならなくなる(D)


 医学はこのように、医学の例の不適切な出来事観と物質観にもとづいて考えることによって、(A)から(B)、(B)から(C)へそれぞれ行かない可能性(都合の良いことが身体に起こってこない可能性)を見落とすんだってことでしたね。また、(A)(B)(C)それぞれから事が悪いほうに進む可能性(都合の悪い出来事が身体に結果として起こってくる可能性)も見落とすんだ、って。つまり、HPVワクチンを接種(A)しても、子宮頸がんにならなくなる(D)っていう都合の良いことが、起こってこないっていう可能性や、HPVワクチンを接種した(A)結果、都合の悪い出来事が身体に起こってくるっていう可能性を見落とすんだ、って。


 で、いきなりHPVワクチンを夢のワクチンだと世間に大声で自信満々に安請け合いしたりするんだ、って。


 HPVワクチンを例に、ここまで、医学の例の不適切な出来事観と物質観にもとづくと、どういうことになるか、大雑把に見てきました。そうした不適切な出来事観と物質観にもとづいて、薬剤や手術等を見るとつぎのふたつの可能性を見落とすことになるといまや言えるんじゃないですか、ね?

  1. 結果として、都合の良いこと(薬剤や手術等に期待していること)が身体に起こってこないっていう可能性
  2. 結果として、都合の悪い出来事が身体に起こってくるっていう可能性


 で、薬剤や手術等をいきなり医学に都合良く見過ぎることになるんじゃないですか、ね? 


 そしていきなり夢の新薬施術爆誕! なんて軽々しく喧伝してしまうことになるんじゃないのかなあ。夢の新薬・施術であるかどうかは、実際にいろんなひとに試してみたあとじゃないとわからないというのに。


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医学のものの見方が雑すぎることを、HPVワクチンを例に確認する〈7/8〉

*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第11回


◇HPVワクチンを接種すると(段階①)

 医学のHPVワクチン観を見ていますよ。残すは段階①だけとなりましたね。医学のHPVワクチン観は何度も言っていますように、こういうものだと思われます。

【箇条書きにすると】

  • 段階①HPVワクチンを接種すると当然HPVにたいする抗体が身体のなかに産出される
  • 段階②:HPVにたいする抗体が身体のなかに産出されれば、当然、HPVは身体のなかから退治される。
  • 段階③:HPVが身体のなかから退治されれば、当然、子宮頸がんにならなくなる。


 それを図示するとこうなりました、ね?

HPVワクチン接種(A)

↓・・・段階①

HPVにたいする抗体が身体のなかに産出される(B)

↓・・・段階②

●HPVが身体のなかから退治される(C)

↓・・・段階③

●子宮頸がんにならなくなる(D)


 段階①は図では(A)→(B)に当たりますね。


 ここまではこういうことでした。


 まず医学は医学の出来事観にもとづいて、子宮頸がんをHPV一点のせいにする。そうすることによって、身体のなかからHPVが退治されれば、当然、子宮頸がんにならなくなる(段階③)ってことにする。


 ついで医学の物質観にもとづき、HPVを身体に退治させる原因となる物質があるはずだと考え、そうしたものとしてHPVにたいする抗体を挙げてくる。そうして、HPVにたいする抗体が身体のなかに産出されれば、当然、HPVは身体のなかから退治される(段階②)ってことにする、って。


 さあ、このつづきを見ていきますよ。


 ここで医学は、どうすればHPVにたいする抗体が身体のなかに産出されるかを考えます。そして医学の物質観にもとづいてこう決めつけます。

医学の物質観前出)】

  • 表現①:物質それぞれは、身体に特定の出来事を起こす原因である(原因という言葉をもちいての定義)
  • 表現②:物質それぞれは「状況に関係なく身体に特定の出来事を起こすもの」である(原因という言葉をもちいない定義)
  • 表現③:おなじ物質をおなじように摂取・接種すれば、当然、身体におなじ特定の出来事が起こる。


 身体にHPVにたいする抗体を産出させる原因(上記表現①より)となる物質があるにちがいないんだ、って。


 そうした物質を開発したと言って医学が世間に向かって示したのが、HPVワクチンだったわけですよ、ね?


 医学はHPVワクチンを、身体にHPVにたいする抗体を産出させる・原因と見るといま言いました。つまりそれは、HPVワクチンを「状況に関係なく身体にHPVにたいする抗体を産出させるもの」と見るということですよね(表現②より)。


 すなわち、HPVワクチンを接種すれば当然、HPVにたいする抗体が身体のなかに産出される(表現③=段階①)と見るということです、ね?


 でも、ずっと確認してきたじゃないですか。原因なんてものはこの世に存在しないんだ、って。おなじ物質をおなじように摂取・接種しても、ひとによって、もくしはおなじひとでも時と場合によって、身体に起こる出来事がしばしば異なるのがむしろ現実なんだ、って。なら、いまの場合、どうなります? HPVワクチンをおなじように接種しても、HPVにたいする抗体が身体のなかに産出されるっていう都合の良いこと(A→B)が起こらないひとがいても何ら不思議はないってことになるんじゃないですか、ね? いや、ひょっとすると、HPVにたいする抗体が身体のなかに産出されないそんなひとはいないのかもしれませんよ。でも、事前に、そんなひとはいないんだって請け合うことはできないじゃないですか、ね?


 HPVワクチンを医学の物質観にもとづいて見ると、このように、HPVワクチンを接種しても、HPVにたいする抗体が身体のなかに産出されるっていう都合の良いことが起きてこない可能性(AからBに行かない可能性)を見落とすことになるんじゃないですか、ね?


 けど、見落とすことになるのはやはりそれだけにとどまりません、ね?


 HPVワクチンを接種すると、HPVにたいする抗体が身体のなかに産出される(A→B)のだと仮にしてもですよ、ほんとうにそんな都合の良いことしか身体に起こってこないのかって思いません? 都合の悪い出来事が身体に起こってきたって全然不思議じゃないじゃないですか、ね? いや、そんな都合の悪い出来事なんか身体に起こってこないのかもしれませんよ。けど、起こってくる可能性は、事前には否定できませんよ、ね?


 ほら、都合の悪い出来事が身体に起こってくるっていう可能性(Aから事が都合の悪いほうに進む可能性)も見落とすことになるじゃないですか、ね?


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医学のものの見方が雑すぎることを、HPVワクチンを例に確認する〈6/8〉

*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第11回


◆身体のなかにHPVにたいする抗体ができると(段階②)

 医学のHPVワクチン観について見ています。段階②に移りますね。

医学のHPVワクチン観を箇条書きにすると

  • 段階①:HPVワクチンを接種すると、当然、HPVにたいする抗体が身体のなかに産出される。
  • 段階②HPVにたいする抗体が身体のなかに産出されれば当然HPVは身体のなかから退治される
  • 段階③:HPVが身体のなかから退治されれば、当然、子宮頸がんにならなくなる。


 それを図示するとこうなりましたね。

●HPVワクチン接種(A)

↓・・・段階①

HPVにたいする抗体が身体のなかに産出される(B)

↓・・・段階②

HPVが身体のなかから退治される(C)

↓・・・段階③

●子宮頸がんにならなくなる(D)


 段階②は図では(B)→(C)に当たりますね。


 さきほど段階③を見ましたよね。医学は、医学の出来事観にもとづいて、子宮頸がんをHPV一点のせいにするってことでしたね。そうすることによって、HPVが身体のなかから退治されれば、当然、子宮頸がんにならなくなる(段階③)ってことにするんだ、って。


 ここから段階②に入りますね。


 そのあと医学は、HPVを身体のなかから退治する方法を、医学の物質観にもとづいて考えます。

【医学の物質観(前出)】

  • 表現①:物質それぞれは、身体に特定の出来事を起こす原因である(原因という言葉をもちいての定義)
  • 表現②:物質それぞれは「状況に関係なく身体に特定の出来事を起こすもの」である(原因という言葉をもちいない定義)
  • 表現③:おなじ物質をおなじように摂取・接種すれば、当然、身体におなじ特定の出来事が起こる。


 医学にとって物質それぞれは、身体に特定の出来事を起こす原因と解されるとのことでしたね(上記の表現①)。そんな物質観をもつ医学にはこう思われます。


 身体にHPVを退治させる原因となる物質があるにちがいない、って。


 で、そうした物質として医学が何を挙げてきたかというと、それは、HPVにたいする抗体でした。


 医学はこのように、HPVにたいする抗体を、身体にHPVを退治させる・原因であると考えます。つまり、HPVにたいする抗体を「状況に関係なく身体にHPVを退治させるもの」(表現②)と見なします。すなわち、HPVにたいする抗体が身体のなかにあれば当然HPVは身体に退治される(表現③=段階②)と解します。


 でも、原因なんてそもそも存在しないんだって何度も確認したじゃないですか。おなじ物質をおなじように摂取接種してもひとによって、もくしはおなじひとでも時と場合によって、身体に異なる出来事が起こることシバシバなのがむしろ現実なんだって、くり返し確認したじゃないですか、ね(「物質の現実」より)? アルコールとか、コーヒーとか、毒とか、薬剤とかを例に、ね?  したがって、いまの場合、こういうことになるんじゃないですか、ね? HPVにたいする抗体が身体のなかに産出されても、HPVが身体のなかから退治されないひとがいても何ら不思議はないってことに、ね? いや、ひょっとするとHPVが退治されないそんなひとはこの世にゼロなのかもしれませんよ。でもそれは、HPVにたいする抗体が身体のなかにあるいろんなひとを実際に調べてみてはじめてわかることであって、調べるまえから、HPVが退治されないそんなひとはいないんだって請け合うことはできないじゃないですか、ね?


 HPVにたいする抗体を医学の物質観にもとづいて見ると、このように、HPVにたいする抗体が身体のなかにあっても、HPVが退治されるっていう都合の良いことが起こってこないっていう可能性(BからCに行かない可能性)を見落とすことになるんじゃないですか、ね?


 けど、見落とされることになるのはそれだけじゃありませんね? 


 HPVにたいする抗体が身体のなかに産出される(B)と、たしかにHPVが退治される(C)のだと仮にしてもですよ、結果として身体に起こるのはそんな都合の良いこと(B→C)だけかと思わません? 都合の悪い出来事が身体に起こってきたって全然不思議じゃないじゃないですか、ね? いや、そんな都合の悪い出来事は身体に起こってこないのかもしれませんよ。起こってこないのかもしれませんけど、起こってこないって事前に請け合うことはやっぱりできませんよ、ね?


 ほら、都合の悪い出来事が身体に起こってくるっていう可能性(Bから事が都合の悪いほうに進む可能性)も見落されることになるじゃないですか、ね?


 じゃあ、つぎに移りますね。


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