(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

医学には、ひとを理解しようとする気がサラサラないことを確認する〈3/3〉

*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第5回


◆医学はひとの身になろうとしない

 医学はさっきの男性患者さんのようなひとたちについてこう説明しますよね。いかにも、理解され得ない人間ってことにしたがっているなあと、今一度しみじみ実感しながら読んでみてくれますかね?

 妄想気分とともに出現しやすいのは幻聴である。幻聴は「声」「テレパシー」「耳鳴り」と表現されることもある。「耳がうるさい」「周囲が騒々しい」「頭に機械が埋め込まれている」といった言い方をすることもある。


 統合失調症にみられる幻聴には、さまざまなバリエーションがある。もっとも多いのは、批判や悪口が聞こえてくるというもので、一人だけの声ではなく、複数の人の声が陰口を言い合っているという場合もある。複数の人が話を交わす声が聞こえる「対話性幻聴」は、自分の行動を声が逐一説明してくる「注釈幻声」と並んで、統合失調症に特徴的なものとされる。また、自分の考えたことが声になって聞こえる「考想化声」も、特徴的な症状とされる。


「命令」してくる幻聴も多い。「〜しろ」「〜するな」といった形式で、「顔を殴れ」「眠るな」「食べたらダメだ」といった具体的な行動を指示するものから、「戦士になれ」「地球を救え」といったもう少し抽象的な命令を下すものもある。幻聴の言いなりになり、操られる場合も少なくない。自分の意思とは無関係に、ある行動をさせられてしまうと感じるものを「作為体験」というが、幻聴に命じられるままに行動するという場合も多い。患者本人にとっては、幻聴の声は、神の啓示にも似た強い呪縛力、迫真性をもって感じられる。幻聴だとわかるようになっても、その内容を完全に無視することは難しく、影響を受けてしまうことが多い(岡田尊司統合失調症PHP新書、92〜93頁、2010年)。

統合失調症 (PHP新書)

統合失調症 (PHP新書)

 


 こんなふうに説明したんじゃあ、統合失調症者は、霊力をもつ妖怪や幽霊みたいな謎の存在なんだって、世間のひとはあやまって思い込んじゃうんじゃないのかなあ。自分らには理解できない正体不明の異質な人間なんだ、って誤解しちゃうんじゃないのかなあ。非常に罪ぶかい説明だと俺、思いますけど、医学が統合失調症者をこうして、理解され得ない人間であると決めつけるところから果して何がわかりますかね


 医学はひとの身になろうとしないってことがわかる
んじゃないですかね?


 だってひとの身になろうとさえしていればそのひとたちのことおのずと理解できてくるはずじゃないですか*1。俺だってさっき男性患者さんの実像にあれくらいは迫り得たわけだし、もしひとの身になろうとしていたら、医学になら、男性患者さんのようなひとたちのことが一点の曇りもなく理解できていて当然なんじゃないですかね?


 医学はひとの身になろうとしないってことがいまあらたに明らかになりましたね。ひとの身になろうとしないだなんてそんなの、診察室で一生懸命、自分の苦境を説明しているひとたちにたいしてとるべき態度じゃないと、俺は思うけどなあ。あり得ないほど失礼な態度なんじゃないのかなあ。


 いま明らかになりましたように、医学はひとの身になろうとしません。つまり、ひとが渦中にいる状況がどんなか知ろうとしません。状況最小単位説というこの世の根本原理をソッポむいて無視します


 じゃあその代わりに何をするのか


 最初にみなさんとふたつ約束をしましたね? 覚えてくれてますかね? まず、なんぴとも無視することのできないこの世の根本原理である状況・最小単位説が何であるかを確認する。それがひとつ目の約束でしたね*2。で、そのあと、物理学や化学はそんなことないのに医学だけその根本原理にもとづこうとしてこなかったってことを確認するって、ふたつ目の約束をしたじゃないですか。いまそのふたつ目の約束を果たそうとしはじめたところですよ。


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第1回


第2回


第3回


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*1:医学に統合失調症と診断され、「理解され得ないもの」と決めつけられてきたひとたちが、実は理解され得るということを、実例をもって示そうとしている記事はこちら。

*2:2019年5月8日にこの文章から一字削除しました。ただし文章の意味は何ら変わっていません。

医学には、ひとを理解しようとする気がサラサラないことを確認する〈2/3〉

*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第5回


 いま、統合失調症と診断された男性患者さんについて見ましたね。でも精神医学は、驚くべきことに、統合失調症者は永遠の謎だって言います。理解され得ない人間なんだ、って。

かつてクルト・コレは、精神分裂病〔引用者注:統合失調症のことを以前はそうよんでいましたね〕を「デルフォイの神託」にたとえた。私にとっても、分裂病は人間の知恵をもってしては永久に解くことのできない謎であるような気がする(木村敏『異常の構造』講談社現代新書、182頁、1973年、ゴシック化は引用者による)。

異常の構造 (講談社現代新書)

異常の構造 (講談社現代新書)

 


 いやむしろ、医学はその言動が理解され得ないことこそ統合失調症(者)の特徴だとする、と言ったほうが適切かな。

 少し回り道をして、二十八歳のときに精神科医となって以来、私は、統合失調症の患者さんの純粋さに、心が洗われるような思いを味わってきた。(略)


 そんな私にとって有利だったのは、もっと頑丈な神経をもつ人たちよりも、彼らの体験に共感できたことである。健康で堪らないような人には、ただ現実感のない、荒唐無稽な妄言にしか思えないことも、私には十分実感として、納得できることが多かった。


 まだ駆け出しだった頃、先輩医師の診察につき添って訓練していたあるとき、保護室に長い間閉じ込められている若い女性の患者さんの診察に立ち会うことがあった。(略)だが、彼女の状態は、悲惨なまでに纏まりを失っていた。限界量一杯まで安定剤を投与されていたにもかかわらず、言葉も支離滅裂に近く、幻聴も常に聞こえているという状態で、彼女が喋ると、二人が一度に喋っているようだった。医師との会話も、まったくトンチンカンなものにならざるを得なかった。


 だが、私はそばで話を聞いているうちに、支離滅裂にしか聞こえない話であるが、彼女が心の中で何を思い、何を言いたいのかが、何となくわかってきたのだ。(略)


 先輩の医師は、熱心な治療家で、彼女を外に連れて出ようと言った。彼女は外の空気が気持ちよさそうで、いろいろ喋るのだが、やはりなかなか話が通じない。彼女は、通訳でも求めるように、私のほうをちらちら見たり、私に向かって話しかけようとする。私が、それに応えると、先輩の医師の顔が微妙に曇るので、ひどく困った。


 専門家であっても、彼らの体験を共有することは、しばしば困難である。ただ「了解不能」〔引用者注:「理解され得ない」という意味の専門用語〕で済ましてしまうこともある。いや、「了解不能であることがこの病気の特質だとされてきたのである。何という悲劇だろう(岡田尊司、『統合失調症PHP新書、28-30頁、2010年、ゴシック化は引用者による)。

統合失調症 (PHP新書)

統合失調症 (PHP新書)

 


 でもさっきの男性患者さんは、理解され得ない人間(謎・了解不能なんかじゃなかったですよね。ついさっき男性患者さんのこと、理解できたじゃないですか。いやもちろん、男性患者さんのことを完璧に理解できたと言うつもりは俺には全然ありませんよ。だけど、統合失調症(者)は永遠の謎であるとか、了解不能なんだとか言う精神医学より断然男性患者さんの実像に迫り得たとは言えるんじゃないですかね


 じゃあ、いったい俺はどんなことをしたのか。


 何も特別なことはしませんでしたよね。ひとにたいしてとるべき当たりまえの態度を男性患者さんにもとっただけでした。男性患者さんが渦中にいる状況がどんなか想像しただけでした。状況・最小単位説を思い出してくださいよ。大木であれ、俺の身体であれ、男性患者さんであれ、音であれ、何であれ、それを捉えるというのは状況を捉えるということなんだって確認しましたよね。男性患者さんがどのようにあるかを知るとはまさに男性患者さんが渦中にいる状況がどんなかを知ることじゃないですか、ね?


 さて、俺はいま、男性患者さんが渦中にいる状況がどんなか想像してみただけだって言いました。みなさん、そんなふうに、ひとが渦中にいる状況がどんなか想像してみること、これをふだん何と言います?


 そのひとの身になるって言いません?


 俺は単に男性患者さんの身になろうとしただけでしたすると男性患者さんの実像に精神医学なんかより断然近よれたってわけですよ


 そのことからあらたに何がわかりますかね


 ゆっくり考えてみますね。


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医学には、ひとを理解しようとする気がサラサラないことを確認する〈1/3〉

*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第5回

目次
・大木に言えたことは当然「ひと」にも言える
統合失調症は了解不能ではない
・医学はひとの身になろうとしない


◆大木に言えたことは当然「ひと」にも言える

 状況最小単位説と俺がなづけたなんぴとも無視することのできないこの世の根本原理について確認したじゃないですか。みなさんのお家の広大な庭のなかを、前方の大木目指し、みなさんと一緒に歩きながら、つい先ほど、ね? 大木であれ、俺の身体であれ、太陽であれ、音であれ、他人の身体であれ、俺の過去体験記憶像であれ、何であれそれを捉えるというのは状況を捉えるということなんだ。つまり、状況こそ、この世の最小単位なんだ、って確認しましたよね。


(みなさんと俺が目指して歩みよっている大木はこちら)


 こうして確認したことは大谷翔平選手とか、体操の内村選手とか、羽生さん、そうあの無敵の棋士、とか、みなさんとかといった「ひとを捉える場合にだって当然当てはまりますよねひとを捉えるというのも状況を捉えるということですよね。いや、もっと正確にこう言い直しましょうか。ひとを捉えるというのはそのひとが渦中にいる状況(ただしそのひとを状況の一部分と見る。以下同様)を捉えるということですよ、って。


 蛇足になるとは思いますけど、そのことを一応、以下で確認させておいてもらいますね。


統合失調症は了解不能ではない

 医学に統合失調症と診断されたつぎの男性患者さんを見てみましょうよ。なぜ統合失調症と診断されたひとをって疑問に思います? 安心してください、いずれその理由はわかりますよ。

 家族から、よく電話で浪費を諫められている男性患者は、電話でガミガミ叱責された後で、幻聴がすると訴えた。幻聴は、「小遣いばかり使って」「お菓子ばかり食べて、あんなに太っている」と自分を非難する内容だった(岡田尊司統合失調症PHP新書、95頁、2010年)。

統合失調症 (PHP新書)

統合失調症 (PHP新書)

 


 男性患者さんは電話で家族に怒られたあと、気にするようになったんじゃないですかね。他のひとたちも家族とおなじように、その男性患者さんのことを内心では「小遣いばかり使って」とか「お菓子ばかり食べて、あんなに太っている」といったふうに悪く思っているんじゃないか、ってだけど男性患者さんには思いも寄らなかった。まさか自分が、ひとに内心悪く思われているんじゃないかと気にしているのだとは。いや、いっそ、こう言ったほうがいいかな。男性患者さんには自信があった。ひとに内心悪く思われているんじゃないかと自分が気にしているはずはないといった自信が、って。


 そして、ひとに内心悪く思われているんじゃないかと自分が気にしているはずはないといった自信にもとづいて、男性患者さんは現実をこう解したんじゃないですかね。


 声が「小遣いばかり使って」とか「お菓子ばかり食べて、あんなに太っている」と悪口を言ってきてわたしを困らせる、って。


 現実はコレコレこういうものであるはずだという自信を誰しも持っているじゃないですか。だけど、その自信と実際の現実とが背反するなんてこと、よくあります、ね? 男性患者さんには、ひとに内心悪く思われているんじゃないかと自分が気にしているはずはないといった自信があった。だが、現実はその反対だった。実に男性患者さんは、ひとに内心悪く思われているんじゃないかと気にしていた! そんなふうに自信と現実が食いちがうときみなさんならどうします

  1. 現実に合うよう自信のほうを修正する。
  2. 自信に合うよう現実を解釈する


 どっちをとります?


 1、です、よ、ね? でもみなさんは、その手をとれる保証がないこともまた、よく知っているんじゃないかな。つい自信に合うよう現実を解釈しちゃうこと誰しもありますもんね。今日プレイの調子はいまいちである(現実)、しかしわたしがこんなスコアになるはずはない(自信)、そうである、道具が悪いのである、安物はやはりダメなのである(自信に合うよう現実を解釈)、なんてふうに道具のせいにしちゃったりするようなこと、みなさんにもよくあるんじゃないのかな。


 男性患者さんもみなさんがふだんついやってしまうように先の2番をとっちゃった。自信に合うよう現実を修正解釈しちゃった、というところなんじゃないですかね。


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状況を捉えるとは状況把握をすることであると確認する(3/3)

*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第4回


 大木に歩みよっているいまの場面をもちいて、まずこういうことを確認したじゃないですか。

  1. 大木が、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えていること。
  2. 俺の身体も、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えていること。
  3. その他、太陽や雲や風や音や他人の身体といった存在もそれぞれ、そうした問いに逐一答えていること。
  4. 俺の過去体験記憶像や未来体験予想像もそれぞれ、そうした問いに逐一答えていること。


 それら確認したことを、ひと言にひっくるめて簡単に言うと、こうなりません?


 大木、俺の身体、太陽、雲、風、音、他人の身体、俺の過去体験記憶像、未来体験予想像らが、応答し合いながら共に在る、って(以下、表現①とよびますね)?


 いやそれとも、こう言い換えたほうがピンときますかね? それらが、共に在るにあたって応答し合っている、って?


 どちらでも意味はまったく一緒のような気がしますけど、前者の表現のほうをいまからもちいていきますね。


 大木であれ、俺の身体であれ、音であれ、俺の過去体験記憶像であれ、何であれ、それを捉えるというのは、状況を捉えるということなんだ(状況・最小単位説)って確認したじゃないですか。その状況を捉えるっていうのは、

  • :「現在までの状況の推移」を把握すると同時に、そこから、
  • :「現在以後の状況の推移」を類推すること、


 すなわち、「状況把握すること」、でしたね。前者A現在までの状況の推移を把握する」は、さっきの「表現①」を使うと、こうなりません?


 大木や、俺の身体、太陽、雲、風、音、他人の身体、俺の過去体験記憶像、俺の未来体験予想像らが、現在までどのように「応答し合いながら共に在った」か把握する、


 に?


 いっぽう後者B「現在以後の状況の推移を類推する」は、


 それらが、現在以後どのように「応答し合いながら共に在る」かを類推する、


 に?


 したがって「状況把握」(A+B)はこう言い換えられるんじゃないですかね。

  • A':大木や、俺の身体、太陽、雲、風、音、他人の身体、俺の過去体験記憶像、俺の未来体験予想像らが、現在までどのように「応答し合いながら共に在った」かを把握すると同時に、そこから、
  • B':それらが、現在以後どのように「応答し合いながら共に在る」かを類推すること、


 であるって。


 こうして見てみると、「状況把握をする」ことによってはじめて、存在ひとつひとつの動向が見えてくるってことがはっきりわかるんじゃないですか、ね? ちがいますかね?


 さて、「状況把握」について、ちょっと突っ込んで確認してみました。やっぱり、話、ややこしかったですか? もし頭がごっちゃになってしまっていたら、いまの話、キレイさっぱり忘れてくださいね。


 もとの道に戻りましょう。こういうことでしたね。大木であれ、俺の身体であれ、音であれ、味であれ、他人の脳であれ、みなさんの苦しみであれ、俺の過去体験記憶像や未来体験予想像であれ、何であれそれを捉えるというのは状況を捉えるということなんだ。(状況・最小単位説)。その、「状況を捉えるというのは、ふだんみなさんが四六時中しているあの「状況把握をすることなんだ、ってことでしたよね。そのことがひとについても言えるってことを、統合失調症と診断された男性の例をもちいて、つぎに確認しようとしているところでした、ね?


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状況を捉えるとは状況把握をすることであると確認する(2/3)

*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第4回


◆状況把握をするとは

 以上、まとめますね。大木を捉えるというのは「状況を捉える」ということでした、ね? いや、大木のみならず、俺の身体であれ、音であれ、俺の過去体験記憶像であれ、何であれ、それを捉えるというのは「状況を捉える」ということなんだ(状況・最小単位説)ってことでした、よね? じゃあ、その「状況を捉えるとはどうすることなのか。それは、ちょうどいま見ましたように、「状況把握をする」(先に記したAとBをする)ってことでした、ね?


 さあ、どんどん、先に進みましょう。


 つぎは、このことがひとについても言えることを統合失調症と診断された或る男性の例をもちいて、あ、でも、ちょ待てよ、せっかくだし、この機会に、「状況把握」について、もう少し突っ込んで見ておいたほうがいいかな?


 あ〜、どうしよう、迷えてきた。でも、突っ込んで見ていくと、話、ややこしくなりそうだしな〜。


 う〜む、どうしよう、でも、「状況把握」についてもう少し詳しく見ておいたほうがいい気がしきりとするな〜。みなさんには、冒険心を発揮してそのややこしい話を聞くもよし、無難にそれを聞き飛ばして次頁の最終段落に直行するもよし、ということにしてもらって、やっぱり「状況把握」についてもうちょっと見ておくことにするかな?


 みなさん、どうですかね、ここでその二手に分かれるというのは?


 じゃあ、「状況把握」についてもう少し詳しく見ておきますね(読み飛ばすひとは、次頁の最終段落で俺と落ち合ってくださいね)。


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状況を捉えるとは状況把握をすることであると確認する(1/3)

*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第4回

目次
・「状況を捉える」とは状況把握をするということ
・状況把握をするとは


◆「状況を捉える」とは状況把握をするということ

 みなさんと交わした約束をいまさっきひとつ果たしましたね


 最初にみなさんと約束したじゃないですか。俺が状況最小単位説とよぶなんぴとも無視することのできないこの世の根本原理とはいったい何なのか。物理学や化学はもとづこうと汗水たらしてきたのに、医学だけソッポむいて無視を決め込んできたその状況・最小単位説とは何なのか。それをまず確認しますよって。


 で、いまさっき、こういうことだと確認したわけですよ。すなわち、俺、みなさんと一緒にいま大木目指して歩いてますけど、大木を捉えるというのは状況を捉えるということなんだいや、大木のみならず、俺の身体であれ、音であれ、俺の過去体験記憶像であれ、何であれそれを捉えるというのは状況を捉えるということなんだ


 要するに、状況こそこの世の最小単位なんだ、って。


(みなさんのお家の庭にある、下の大木に向かって、いまみなさんと一緒に歩いている最中でしたね)


 でも、この場合の「状況を捉えるってのはどうすることを言うんですかね? せっかくですし、少し詳しく見ておきますかね? すぐ済みますし、医学も見落としていることですしね。


 みなさんと一緒に大木に歩みよっている最中の俺は(大木、どれだけ遠いところにあるんですかね?)、まえのほうで言いましたように、どの瞬間でもつぎのふたつをしているじゃないですか

  • :その瞬間まで大木にどのように歩みよってきたか過去を記憶している。
  • :その瞬間から大木にどのように歩みよっていくか未来を予想している。


 これってどういうことですかね? 


 Aは何ですかねコレ? どの瞬間でも、その瞬間まで、一瞬一瞬の状況がどんなだったか記憶しているってことじゃないですかね? もっと手短に言えば、その瞬間までの状況の推移を把握しているってことなんじゃないですかね?


 俺はどの瞬間でも、その瞬間までの状況の推移を把握している。と同時に、把握しているそのところから、その瞬間以後の一瞬一瞬の状況がどんなかを、つまり、以後の状況の推移がどんなかを類推(予想)しているんじゃないですかね? それが先のB「その瞬間から大木にどのように歩みよっていくか未来を予想している」に当たるんじゃないですか、ね?


 いま、こういうことを確認しましたよ。大木を捉えるというのは状況を捉えるということなんだ。いや、大木のみならず、俺の身体であれ、音であれ、何であれ、それを捉えるというのは、状況を捉えるということなんだ(状況・最小単位説)。そしてその状況を捉えるというのは

  • :「現在までの状況の推移」を把握すると同時に、そこから、
  • :「現在以後の状況の推移」を類推すること、


 なんだって。


 でも、そんなふうに状況を捉えているのは、大木に歩みよっている最中の俺だけじゃないですよね。みなさん、何時いかなるときも絶えず、そうしたこと(A+B)をしてるじゃないですか、


 その作業を状況把握とよんで、ね?


 いや絶対にそうよんで、やっていますって。


 そんなみなさんに倣って、状況を捉えるとは状況把握をすることであると言っても構いませんよ、ね?


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ここはうまく書けていませんね(ここに限った話じゃないか......)? なぜ「状況を捉える」が「状況把握をする」になるのか、わかりませんよね? 後日、書き直しましたよ。下の記事がそれです。2019年10月15日記す。


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医学だけが無視するこの世の根本原理について、確認し終える《3/3》

*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第3回


◆存在を捉えるとは「状況を捉える」ということ

 先ほど大木についてこういうことを確認しましたよね?

  1. 大木が今どのようにあるかを知るというのは、大木が、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに今どう答えているか知ることである。すなわち、大木と他のものとが共に在るありよう、つまり状況、が今どんなかを知ることであり、
  2. 大木が過去どのようにあったかを把握するというのは、状況が過去そのときにどんなだったかを把握すること、
  3. また、大木が将来どのようにあるかを予想するというのは、状況が将来のそのときにどんなかを予想することである、


 って。


 ひと言でいえば、大木を捉えるというのは状況を捉えるということなんだって。


 これとおなじことが俺の身体にも言えるし太陽にも雲にも風にも地面にも音にも匂いにも味にも俺の過去体験記憶像や未来体験予想像にも言えるってことですよ。大木であれ、俺の身体であれ、他人の脳であれ、音であれ、俺の過去体験記憶像や未来体験予想像であれ、何であれ

  1. それが今どのようにあるかを知るというのは、状況(当のものを一部分としてうちに含む。以下おなじ)が今どんなかを知ることであり、
  2. それが過去どのようにあったかを把握するというのは、状況が過去そのときにどんなだったかを把握すること、
  3. また、それが将来どのようにあるかを予想するというのは、状況が将来のそのときにどんなかを予想することである。


 大木であれ、俺の身体であれ、他人の脳であれ、何であれそれを捉えるというのは状況を捉えるということなんだ


 ってことですよ。


 で、そうしたことを、無理をしてほんのひと言にまとめれば、こうなるんじゃないかってわけです。


 状況こそがこの世の最小単位なんだ、って。


 最初にみなさんにしたふたつの約束のうち、いまひとつを果たしました。果たしたつもりです。いや、果たしたことにしておいてくださいよ。冒頭でまず状況最小単位説と俺がよぶなんぴとも無視することのできないこの世の根本原理が何であるか確認するって約束したじゃないですかいま果たしたことにしておいてくださいよと言ったのはその約束のことですよ。言ってることわかりにくかったですか? たしかに俺の表現、拙かったり冗長だったりしたでしょうね。でも、俺が何を言いたがっているか、察しのいいみなさんにはピンときたんじゃないですかね? 単純なことばかりでしたよね、俺なんかが言わなくったって、みなさんずっとまえからよく知っていたことばかりだったんじゃないのかなあ。


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